歌鳥のブログ『Title-Back』

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再放送

   再放送

 とっておきのクッキーとコーヒーを用意して、コックピットに戻った。折りたたみテーブルを広げて、お皿とカップを並べる。甘い匂いと香ばしさが、同時に立ちのぼった。
 操縦はオートに任せてある。目の前には空虚な宇宙。ワープエンジンの冷える、チンチンという小さな音が、エンジンルームから聞こえてきた。
 メインモニターで時間を確認。私の計算どおりなら、もうすぐ放送が始まるはず。
 コントロールパネルに手を伸ばして、まずブースターをオンに。それから、ラジオのスイッチをオン。
 周波数は合わせっぱなし。徐々にボリュームを上げていくと、耳慣れた音楽が流れてきた。
 うん、大丈夫。まだ聞こえる。

  ほっとすると同時に、すこし緊張した。柔らかなシートに背を預けて、深呼吸で気分を落ち着ける。

『間もなくケイオス時間で午後九時。銀河標準時では、十七月八日の十四時三十九分です。
 お聴きの放送局はアルベードラジオ。デューナ第二惑星エコーから、デューナ星系の皆様にお送りしております。
 続いて九時からの番組は“アストロノーツ・シアター”。DJマーシュ・ステラーによる、音楽とゆるやかなトークでお楽しみください』

 ――マーシュ・ステラー。
 その名前を耳にしたとたん、胸が高鳴った。
 もうすぐ聴ける。あの愛しい声を。
 音楽が途切れて、また別の音楽に変わった。
 番組のオープニング曲だ。私は目を閉じて、すべての神経を耳に集中させた。

『時刻は午後九時になりました。スタジオの窓からは、ケイオスシティの素晴らしい夜景が見えます。昼間は強かった風も、今はだいぶおさまったようです。冬の寒風には悩まされますが、ドーム都市では味わえない特権でもありますね』

 彼の声が語りかけてきた。クッキーみたいに甘くて、コーヒーみたいに味わい深い、彼の声。
 その声を耳にするだけで、胸が震えた。

『三年ほど前、あるガーデンパーティに出席したんですが、やっぱり風の強い日でした。僕はケイオスに来たばかりで、生まれて初めて経験する強風に戸惑いました。どうやったら帽子を飛ばされずにカクテルを飲めるのか、頭を悩ませたものです』

 自然に笑みが浮かんだ。そのパーティで、私は彼と出会ったんだった。
 必死に帽子を抑える姿が滑稽で、思わず笑ってしまった私。
 彼は苦笑いで「どうすればいいんでしょう?」と聞いてきた。
「帽子を取ればいいのでは?」というのが、私の回答。
 風の吹き荒れる芝生の上で、私たちは乾杯した。彼の四角い帽子は、ポケットの中でくしゃくしゃになった。

『週末の夜のケイオスから、マシュー・ステラーがお届けする“アストロノーツ・シアター”。最後までごゆっくりお楽しみください。
 今夜最初の曲はアリエッタ・ストリング・カルテット、“ゾディアック銀河商隊”』

 そのパーティで流れていたのが、この曲。静かな夜にぴったりの、弦楽四重奏。強風の中、ラスンタ人の演奏家二人が、四本の腕で巧みに演奏していた。
 そう。私たちが初めて踊ったのがこの曲だった。私はドレスの裾をはためかせて。彼は、帽子を小脇に挟んだままで。
 私は回想に浸りながら、クッキーをつまんだ。甘い香りと味が、口の中いっぱいに広がった。
 曲が終わって、また彼が語り始めた。

『三年前といえば、ちょうどリブラタワーが完成した年です。
 今ではケイオスのシンボルとして、すっかり定着したリブラタワー。樹木をモチーフにした外観は、当時はとても奇妙に見えたものです。枝葉の部分はホバーカーの発着場になっていますが、あれほど大量のホバーカーがどこから来て、どこへ行くのか。不思議で仕方ありませんでした』

 私たちの最初のデートは、そのリブラタワーで始まった。
 それは偶発的だった。彼は東海岸のレインフォーレストで、ショーの司会の仕事を見つけた。当日の朝、予約していたジェット便が事故で欠便となって、彼はパニックを起こしていた。
 私はフリーのカメラマンで、時間は比較的自由だった。ホバーカーのライセンスも持っていた。彼からの相談を受けて、私はドライバーを買って出た。
 片道二時間の大陸横断は、笑いの絶えないものになった。
 会うのはこれが二回目なのに、昔からの親友みたいに話が合った。言おうとしたことを何度も先取りされて、「なんでわかるの?」と尋ねずにはいられなかった。「今言おうとしたのに」と告げたら、彼も驚いていた。
 ケイオスに戻ったのは真夜中近かったけど、私はちっとも疲れていなかった。
「すごい数のホバーカーだ。まるで花に集まる昆虫だね」
 ネオンの輝くリブラタワーが間近に迫った時、彼がその疑問を口にした。
「これほどたくさんのホバーカー、どこから来てどこへ行くんだろう? こんなに遅い時間なのに。ケイオスは忙しいんだね」
「事情は人それぞれでしょう。私たちみたいに、それぞれの理由があって飛んでいるのよ」
「それはそうだね。でも――」
「でも?」
 彼は、とびっきりの笑顔を私に向けてくれた。
「でも間違いなく、その中でいちばんハッピーなのは僕だな」
「今言おうと思ったのに」
 顔を見合わせて、同時に吹き出した。この日はたくさん笑いすぎて、頬が痛くなった。

『このスタジオの窓からも、緑色に輝くリブラタワーが見えます。飛び交うホバーカーの光が、花に集まる蛍のように見えます。
 今夜はとても空気が澄んで、夜景の美しい夜です』

 スピーカーからの声に、また微笑んでしまう。私は目を薄く開いて、目の前の星の海と、あの日のケイオスの夜景を重ねてみた。

『もう一曲お送りしましょう。ソウルプラスの“エレクトリック・アンセム”、僕の大好きな曲です』

 私も大好きな曲。レインフォーレストからの帰り、ラジオから流れてきた曲だ。
 静かに耳を傾けながら、私はコーヒーを飲んで、クッキーをつまんだ。甘く柔らかな歌声が、コーヒーと一緒に喉の奥まで染みこんでいった。
 ――そんなふうにして番組が進んだ。
 彼はさりげない話題の中に、私との思い出を巧みに織り交ぜていた。最初に食事をしたレストランの料理。最初にエコーを出た星間ドライブ。最初にキスをした街路樹の影。最初に体を重ねた夜――。
 その間に流れる曲も、二人で一緒に聴いた音楽ばかり。
 もちろん私の名前は口にしなかった。でも間違いなく、彼は私に向かって話しかけていた。デューナ星系の何千万人ものリスナーではなく、私に。
 番組の進行にあわせて、私の中に幸せが積み重なっていった。
 同時に、すこし緊張もしていた。緊張をほぐすために、コーヒーとクッキーに頼った。

『――さて、そろそろお別れの時間です』

 カップとお皿が空っぽになる頃、彼の声がそう告げた。
 ちらりと時計を見た。番組が終わる時間まで、あと五分。
 緊張が高まる。きちんと背筋を伸ばして、その瞬間を待った。

『最後になりますが、ここで皆さんにお詫びしなければいけません。
 今夜のこの番組、僕はリスナーの皆さんへ向けて話しかけているように装ってきました。ですが……実際には、そうではありません。
 実際には、僕は一人のリスナーへ向けて話していました』

 指に力が入って、空っぽのカップを握りしめてしまう。できるだけ落ち着くように、ゆっくりと深呼吸する。

『今夜お送りした曲も、すべてその女性一人に聴かせるための曲です。
 この一時間、僕は番組のすべてを、その女性のために捧げました。
 番組を私物化したことを、皆さんにお詫びします』
 彼が深く息をする音が、スピーカーから聞こえてきた。
『番組はあと三分残っています。せっかくなので、最後まで使い切ってしまいましょう。
 ――ミナ、聞いてくれてるかい?』

 とうとう、彼は私の名前を呼んだ。
 カップを落としそうになるのを、どうにかこらえる。目をぎゅっと閉じて、彼の声に神経を集中する。

『撮影旅行の最中に、無理を言ってすまない。今日のこの放送だけは、どうしても君に聞いてもらいたかったんだ。
 君は約束を守る人だから、この放送も聞いてくれていると信じてる』

 そう、私は約束した。その約束を守って、この放送を聞いている。

『君と出会ってからの三年間は、僕の人生で最高の三年間だった。これほど誰かを好きになるなんて、君と会うまで想像もできなかった』

 涙が溢れそうになるのを、ぐっと我慢する。まだ。まだ泣くのは早い。

『僕にとって、君は最高の女性だ。この最高に幸せな三年間を、僕は死ぬまでずっと持続させたい。
 ミナ、僕と結婚してくれるかい?』

「イエス!」私は叫んだ。
「イエス、イエス! 答えはイエスよ。イエス、イエス、イエス!」
 こらえていた涙が、とうとう溢れだした。
 私はかすれた声で叫んだ。はるか彼方にいる相手に、聞こえるはずのない返答を、何度も何度もくりかえした。
 彼が、ほんの十数秒の沈黙を破るまで。

『――その答えは、あと数時間後に聞けると思います。
 僕はこれから星間便に乗って、彼女のいるガスウィンへ向かう予定です。ガスウィンで彼女に指輪を渡して、今の質問の答えを聞くことにします。
 リスナーの皆さんには、来週のこの時間に、その結果をご報告しましょう』

 もうすぐ番組が終わる。私は慌てて涙を拭って、彼の最後の言葉を聞き逃さないようにした。

『最後にもう一度、番組を私物化したことをお詫びします。
 リスナーの皆さん、もしよかったら、彼女の返事が良いものであることを、僕と一緒に祈ってください。
 お相手はマシュー・ステラーでした。また来週お会いしましょう。さようなら』

 番組は終わった。
 私はラジオのスイッチを切った。ただじっとシートに座って、沈黙に耳を傾けながら、幸せの余韻に浸った。
 ――涙がすっかり乾いてしまう頃、私は行動を始めた。そろそろ、次のフライトの準備をしなければならない。
 パネルを操作して、次の目的地をセットする。行き先は、彼と待ち合わせた第三惑星ガスウィンではない。デューナ星系とは正反対の、どこかの宇宙の狭間。
 彼は……マシューは結局、私の返事を直接聞くことはできなかった。
 マシューを乗せた星間便は、ガスウィンの手前で事故に遭った。機体は宇宙空間に四散して、遺体の回収すらできなかった。
 一年後、まだ悲しみから立ち直れないでいた私に、星間便のパイロットが教えてくれた。時々、宇宙の何もない場所で、星間放送の電波を受信することがある、と。
 私はすぐに船を買って、ケイオスを飛び立った。それが一年前のこと。
 ここは、ケイオスから二光年離れた場所。
 二年前にケイオスのスタジオから発信された電波が、今、私の宇宙船を追い越したところ。
 ワープエンジンの準備が整ったら、私はまた船を飛ばして、電波を先回りする。コーヒーとクッキーを用意して、彼の放送を待ち構える。
 そうやって、私はあの最高に幸せな一瞬を、もう一度味わう。
 やがて電波は拡散して、ブースターでも拾えないほど減衰してしまうだろう。
 でも、まだしばらくは大丈夫。まだしばらくは、彼の最後の放送を聞くことができる。
 それまでは旅を続けて、彼の声に耳を傾け続けよう。彼の電波が拡散して消えてしまうまで、何度でも、くりかえし、くりかえし。

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 新作、ではないのですが、ネットでは初公開です。

 以前どこかのコンテストに応募して、箸にも棒にもかからなかった短編です。絶対的な自信があったんですが、うーん。何がまずかったんでしょうか。

 当時の文章にちょっとだけ手を加えて読みやすくしました。お楽しみいただければ嬉しいです。感想とかなんとかいただけるともっと嬉しいです。