歌鳥のブログ『Title-Back』

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【過去作品サルベージ】小麦粉と土と油の女王の話

   小麦粉と土と油の女王の話

 あんた見かけない顔だな。旅人かい? ――そうか、だと思ったよ。
 隣いいかな? 一杯おごらせてくれ。旅人には親切にしてやるのが、この国の流儀なんだよ。飯はどうだ? この店のパンはうまいぜ。豆のスープも絶品だ。
 ああ、確かに景気はいいよ。
 先月、新女王の即位式があってね。それからずっと祝宴が続いてる。国中で新女王を祝い続けてるのさ。この1ヶ月、ずっとね。あんたみたいな旅人も、祝い気分に釣られて集まってくれる。そりゃ景気もよくなるってもんだ。
 ――ああ、あんたも気づいたか。
 確かに、祝いの宴って雰囲気じゃねえな。ヤケになってバカ騒ぎをやってる、そんな感じだ。俺も人のことは言えんけどな。
 何故かって?
 そいつを説明するには、女王の話をしなきゃならん。長い話だが、聞くかい?
 そうか。なら、もう1杯おごらせてくれよ。長い話だ。飲み干すまでには終わらんよ。

 話は3年ほど前、当時の国王陛下が崩御されたところから始まる。
 陛下には跡継ぎがなかった。当然の結果として、王妃セミレ様が王座を継ぐことになった。けど、そいつを良く思わない者がいた。軍の最高司令官・ネイザン将軍だ。女性の身であるセミレ様が王位に就かれるのが、将軍はお気に召さなかったらしい。
 まあ理由はともかく、将軍は手駒の兵を率いて反乱を起こした。鍛錬された手練れの反乱兵が相手じゃ、名ばかりの王家親衛隊はひとたまりもなかった。即位から一週間も経たずに、新女王は幽閉された。
 ほら、そこの窓から城の尖塔が見えるだろう。あのてっぺんさ、女王が閉じこめられたのは。
 ――何故殺さなかったのかって? セミレ様は国民に慕われてたからね。殺したりしたら民がどんな反応するか、よくわかってたんだろうよ。
 政敵を追放し、国の全権を握ると、ネイザン将軍は『皇帝』を名乗って圧政を敷きはじめた。
 そこまでの手際は鮮やかなもんだった。だが、将軍は2つほどミスをやらかした。ひとつは女王の一人娘、スティクス王女を取り逃したこと。そしてもうひとつは、セミレ女王の魔力を甘く見ていたことだ。
 セミレ様は、王家にのみ伝わる魔術に精通していた。いわゆる錬金術ってやつだ。粘土と灰をこねまわして使用人を作るくらい、女王にとっては朝飯前だった。
 ネイザン将軍もバカじゃないから、そのあたりは警戒していた。幽閉された女王の居室には、窓と扉がひとつきり、家具も寝台がひとつきり。部屋の出入りは朝と晩、扉の小窓からパンと水の食事が差し入れられるだけ。錬金の素材となるようなものは一切、女王の手元には届かないはずだった。
 しかしだ。ここが女王の恐ろしいところさ。
 女王はわずかばかりのパンくず、寝台の藁、窓から入りこむ雨水と砂埃、爪で壁を削った砂粒、それに自身の髪の毛を使って、指先ほどの大きさの羽虫を作った。羽虫に命を吹きこむと、そいつはひらひらと羽ばたいて窓から出て行った。
 向かった先は国境の向こう、王女スティクスの隠れ家だ。

 王女はほんの一握りの取り巻きと共に、隣国のとある貴族に匿われていた。
 周囲の目は王女に同情的だったが、それはそれだけのこと。王女が「母を救い出してくれ」と訴えたところで、耳を傾ける者はいなかった。いくら王族とはいえ、たかだか12歳の小娘だからな。
 己の無力を思い知らされた王女は、日々を泣き濡れて過ごしていた。そこへ羽虫が届けられたんだ。

 羽虫を目にした王女は、それが母の手によるものだとひと目で悟った。
 手で羽虫に触れたとたん、母親の声が頭に響いてきた。羽虫そのものに魔力はないが、触角を媒体として、親子は意志を通じ合わせることができたんだ。
 当時、王女は12歳。魔導の知識はほぼゼロだった。だが、そこは王家の血流さ。母に教わりながら、王女は少しずつ、錬金術の技を習得していった。そうして1年後、それができあがった。

 小麦粉と土、油。それに羽虫によって運ばれた、女王の髪。これらを特別な手法で混ぜ合わせて、王女は等身大の人形を作った。幽閉された自分の母と瓜二つの人形を。
 最後に王女が力の言葉を唱えると、人形はむくりと起き上がった。
 こうして、女王の意のままに動く人形は完成した。
 セミレ女王の意志に従って、人形は歩きもしゃべりもする。人形の目が見たものは、そのまま尖塔のセミレ様に伝わる。音も匂いも同様だ。おまけに、見た目も本物と変わりない。
 言わば女王の分身さ。セミレ様は娘に、自分の分身を作らせたんだ。
 スティクス王女と分身の母はしばし見つめ合い、それから硬く抱き合った。自分が作った土と小麦の人形に、王女は母の面影を認めたのさ。

 さあ、ここから先は壮大な復讐劇だ。
 小麦粉と土と油の女王は、近隣諸国を訪ねてまわり、自身と国の苦境を訴えた。12歳の小娘の声は届かなくとも、一国の女王の言葉は容易に広がる。たとえ、それがただの人形だとしてもだ。なにしろ、人形はセミレ女王に生き写しだったからな。
 ことは秘密裏に運ぶ必要があった。セミレ女王とその娘は、闇夜に紛れて旅を続けた。近隣諸国の統治者たちから、充分な援軍の約束を取りつけるのに、まる1年かかった。
 その間、生身の女王はじっと耐え忍んでいた。幽閉された尖塔のてっぺんで、粗末な食事をとり、雨水をすすり、薄い寝台で体を休める。どうにか狂わずに済んだのは、意識の大半を小麦と土の体に注ぎ込んでいたせいだろうな。
 一方、皇帝ネイザンは我が世の春を謳歌していた。俺たち民衆から吸い上げた金で、贅沢三昧の日々を送っていた。
 国民の不満は爆発寸前だった。誰もが前女王の復活を願っていた。

 そして――ついに、その時が来た。裁きと復讐の時が。
 女王は、というか小麦と土の分身は、自ら援軍を率いて城に攻め入った。愛する一人娘、忠実な王女と一緒にだ。
 ぬるま湯に肩まで浸かっていたネイザン皇帝は、本隊が城の大半を掌握するまで、事態に気づきもしなかった。まあ無理もないさ。城で働く下男や下女、ほとんどが前女王の味方だもんな。誰もが進んで女王の兵を迎え入れたってわけだ。
 ろくに抵抗もできないまま、ネイザンは首を落とされた。皇帝の取り巻きどもは降伏し、城は再び女王のものとなった。
 兵士たちは勝ち鬨をあげ、女王は兵と娘に感謝の意を表した。さあ、後は幽閉された生身の女王を解放するだけだ。
 女王の分身、スティクス王女、そして各国の部隊の代表が、尖塔の狭い階段を駆け上った。閉ざされた扉の鍵を開けると、中にいた本物の女王が一行を出迎えた。

 ――そこで妙なことが起こった。
 重要なのは、セミレ女王が閉じこめられてから、まる2年の月日が流れてるってことだ。その間、女王は満足な食事も与えられず、ほぼ寝たきりで過ごしていた。
 小麦粉と土、それに油でできた分身が、扉の向こうに見たものは――やせ衰え、老婆のようにやつれ果てた、自らの姿だった。2年間の苦行が、女王に老いと衰弱を与えたのさ。
 一方、分身の女王は2年前と同じ姿。娘1人を産み育てたとはいえ、まだ若さも美貌も失っていない、健やかなセミレ女王の姿だ。
 噂だと、本物は倍も年老いて見えたそうだ。まあ、信じる信じないは人それぞれだけどな。
 両者は扉を挟んで向かい合った。若く健康な偽物の女王と、老いさらばえた本物の女王。
 わずかな静寂の後、分身の女王は扉を閉ざし、元通り鍵を掛けた。
 そして振り返ると、王女とその場に居合わせた者たちに告げた。この扉は封印する、決して開いてはならない。日に2回、パンと水の食事を与える他は、何人たりともこの扉に近づいてはならない……と。

 こうして、国は平穏を取り戻した。
 セミレ女王は自らの座位に戻り、才気と慈愛に溢れる政治を執り行った。邪魔な将軍はいなくなり、亡き国王陛下の時代よりも過ごしやすくなったくらいだ。
 女王が女王であることに異を唱える者はいなくなった。
 俺たち民衆は当然、大喜びさ。たった2年ぽっちとはいえ、ネイザン皇帝の圧政は悪夢そのものだったからな。即位を祝う宴が幾晩も続いた。近隣諸国との交流も増え、景気も良くなった。
 けどなあ……誰も言葉には出さなかったが、内心は複雑だったよ。
 だってなあ。女王を祝って乾杯する時、その相手は小麦粉と土と油だ。女王の健康と長寿を神に祈る時、相手は錬金の賜だ。謁見の間で相対するのは、見た目は高貴な女王様、でも中身は小麦と土の塊だ。
 確かに、その魂はセミレ女王だよ。話す言葉も、民への心配りも、即位する前と変わらない。けどなあ……。
 女ってのは恐ろしい。国中の男が、そう感じたはずさ。
 祝宴は数ヶ月続いたが、その間パンの売れ行きは激減した。俺もパンを食う気にはなれなかった。なんだか、女王の体を貪っているような気がしてな。

 ――え? 何だって?
 ああ、確かにな。今この酒場にはパンがあって、みんな食ってる。
 あんた勘違いしてるよ。セミレ女王の即位は1年前のことだ。今俺たちが祝ってるのは、娘のスティクス様の即位さ。
 何があったのかって? それがまたおかしな話さ。
 城に戻った後、スティクス王女は1年かけて、魔導を完璧に習得した。自分の魔術に納得がいくとすぐ、王女はセミレ女王にかけた魔法を解いちまった。セミレ様の体は小麦と土に戻り、スティクス王女が女王の座を継いだ。ほんの一月前の話さ。
 なぜそんなことをしたのかは誰にもわからん。自分が小麦粉をこねて作った人形に仕えるのが嫌だったのか、老いを知らない肉体に嫉妬したのか、それとも別の理由があるのか。誰にもわかるもんか。
 ――親殺しは大罪じゃないのかって? ああ、そりゃそうさ。一国の王女といえど、処罰は逃れられない。
 だがな、スティクス様が罪に問われることはなかった。
 よく考えてみてくれ。セミレ様はまだ生きてるんだぜ。あの城の尖塔でね。しかも幽閉を命じたのは、他ならぬセミレ様当人だ。
 スティクス様がやったことはただ、自分がかけた魔法を解いただけ。だろ?
 俺たちがなぜ浮かない顔をしてるか、これでわかったろ。
 新女王スティクス様は、偽物とはいえ実の母親を手にかけ、小麦と土に変えちまった。前の女王にも納得はしてなかったが、どうにも、なあ。
 まったく、女ってのは恐ろしいぜ。あんたもそう思うだろ?
 まあ、とにかく乾杯だ。新女王の誕生を祝おうぜ。俺たちにできるのは、酒を飲むことくらいさ。心配するな、勘定は俺が払う。景気はいいからな、この国は。景気だけはな。


 んー。どうにも使いづらいなこのエディタ。ぶつぶつ……。

 さて。毎度おなじみ過去作品です。旧ブログから引っ張り出してきました。
 お読みいただければおわかりかと思いますが、ティプトリーの『接続された女』が元ネタです。このテキストのファイル名は仮題のまま“幽閉された女.txt”でした。いいかげんまぎらわしいので、ファイル名直します。