十枚入り封筒198円
十枚入り封筒198円
「長谷川さん、ご気分はいかがですか?」
個室のドアを開けた。ベッドに腰かけていた長谷川さんは、こっちを向いてにっこりして、それから首をかしげた。
「ええと、どなただったかしら……?」
「ヘルパーの結城ですよ。いい加減覚えてくださいね」
「ああ、そうだったわね。もうお昼ごはんかしら?」
「昼食は、まだ三十分くらいありますね」
私はにこやかに答えて、ポケットから封筒を取り出した。
「はい。お手紙が届いてましたよ」
「あら、私に? 誰からかしら」
「差出人は“長谷川 あゆ”さんですね。ご親戚ですか?」
長谷川さんの顔が、ぱーっと明るくなった。
「まあまあまあ。それ、私の孫だわ」
「ああ、お孫さんですか」
「そうそう。この前お手紙を出したんだったわ。きっと、そのお返事ね」
私が差し出した封筒を、長谷川さんはひったくるように受け取った。おぼつかない手つきで、乱暴に封を破る。手紙を開くと、満面の笑みがほんのすこし曇った。
「ええと、私、メガネをどこにやったかしら……?」
「よかったら、私がお読みしましょうか?」
「ああ、そうしてくださると助かるわ」
長谷川さんは嬉しそうにうなずいて、ベッドの上に正座した。
私は椅子を引き寄せて、腰をおろした。長谷川さんに渡された手紙を開いて、声に出して読んだ。
『おばあちゃんへ。
お手紙届きました。とても驚きました。
私を引き取って同居してほしい。それが無理なら、ホームへ面会に来てほしい――とのことですね。
本当に驚きました。
よく恥ずかしげもなく、そんなことが言えるものですね』
長谷川さんの様子を、顔をあげてちらっと見た。まだ、にこにこと笑顔のまま。言葉の意味を理解するのに、時間がかかっているんだろう。
『あなたと同居していた日々は、地獄のようでした。
おじいちゃんが亡くなった後、一人になったあなたを、父と母は我が家に引き取りました。
「おばあちゃんが一人で寂しそうだから、家に来てもらったんだよ」
母は私にそう説明していました。母は純粋に、あなたを心配していたんです。
あなたは母の親切を、仇で返しました』
長谷川さんの顔から微笑が消えた。
思っていたような内容じゃないって、ようやく気づいたみたい。
『同居したその日から、あなたは嫁いびりを始めました。
――少なくとも、最初のうちは“嫁いびり”でした。
母の家事に言いがかりをつける。鍋をひっくり返す。母の衣服を捨て、母が趣味で集めていた本を売り飛ばす。家具や壁をわざと汚して、母がやったことにする。「母に虐待されている」と近所に言いふらす。等々……。
ちょっと思い出しただけで、これだけ出てきます。あなたのしたことを全て書いていたら、何十枚の便箋が必要になるでしょう。
あなたは覚えていますか? 認知症のせいで忘れてしまいましたか?』
長谷川さんは正座したまま、じっと動かない。顔はほぼ無表情。ショックを受けたというか、呆然としている感じ。
『毎日のように行われるあなたの意地悪を、母は黙って耐えていました。
自分だけ耐えていれば済む、と母は思っていたようです。父にも私にも、自分がされていることを告げませんでした。
あなたは父にとっては母であり、私にとっては祖母です。“優しい母親”“優しいおばあちゃん”というイメージを、母は傷つけたくなかったのでしょう。
実際、あなたは良い母であり、良い祖母でした。すくなくとも表面上は。
私や父の前で、あなたはひたすら“良い人”を演じていましたね。「良い嫁をもらった」と母を褒めることさえして、醜い姑の顔はひた隠しにしていましたね。
でも私は気づいていました。母があなたにいびられていることを』
長谷川さんは目を大きく見開いて、はじめて驚いた表情を見せてくれた。両手は膝の上で、ぎゅっと握りしめている。
『私は幼い子どもでした。そんな私にも、母があなたにされていた仕打ちは理解できました。母があなたに言われた言葉、振るわれた暴力。今でも覚えています。
あなたに抗議しようと、何度思ったことか。
でも、そのたびに母に止められました。
「あなたにとっては良いおばあちゃんなんだから、嫌われるようなことはしなくていいの。私が我慢すればいいんだから」
母はそう言いました。
確かに、あなたは良い祖母かもしれません。たくさんのお菓子やおこづかいをくれましたし、優しい言葉もかけてくれました。私の望むだけ、おもちゃも買ってくれました。
でも、それは表面だけのこと。
母をいじめる人間が、良い祖母のはずがありません」
長谷川さんの手が、膝の上でぶるぶる震えだした。視線はその膝のあたりに注がれていて、私のほうを見ようとはしない。
『決定的だったのは、私が五歳の時の出来事です。
覚えていますか? いくらあなたが認知症でも、さすがに忘れはしないでしょう。
あなたが殺したのですから。私の弟か妹を』
長谷川さんの肩がびくっと震えたのは、「弟か妹」の部分に差しかかった時。
きっと、過去の記憶を無理やり掘り起こされて、驚いたんだと思う。顔は伏せていたから、よく見えなかったけど。
『お腹の大きくなった母を、あなたは階段から突き落としたのです。
母はそのまま放置され、遊びから帰った私が救急車を呼ぶまで、階段の下でうめき続けていました。母はそのまま入院し、お腹の子は助かりませんでした。
その時父はようやく、あなたが母にしていたことを知りました。
でも、もう手遅れです。
母が証言を拒んだので、あなたが罪に問われることはありませんでした。
そのかわり、父は転居の手続きをとり、あなたを家に置き去りにしました。母と私が心から願っていた、三人での暮らしが始まりました。
でも、手遅れなのです。お腹の子は帰ってはきませんし、母は打ちひしがれて、どんどんやせ細っていきました。やがて病に倒れ、そのまま亡くなりました。
あなたのせいです。
あなたが母と、弟か妹を、殺したんです』
長谷川さんがぱっと顔をあげた。
目にいっぱい涙を溜めて、私の顔を見ている。何か言いたそうだったけど、言葉は出てこない。
何が言いたいんだろう。「読むのをやめて」かな? よくわからない。
わからないから、読み続けた。
『その後、私はあなたとの縁を切ることにしました。
会いに行こう、などとは決して思いませんでした。あなたからの手紙はすべて、破いて捨てました。父は定期的に、あなたの様子を見に行っていたようですが、私にはどうでもいいことでした。
私は成長し、おとなになりました。
久しぶりに実家に帰ると、父に手紙を渡されました。あなたからの手紙です。
なぜ読んでみる気になったのか、自分でもわかりません。
差出人の住所が老人ホームで、興味が湧いたのかもしれません。長年待ち望んでいた復讐の機会が、ようやく訪れたことに気づいたのかもしれません』
長谷川さんが、私に向かって何かを訴えようとしている。口を懸命にぱくぱくさせて、必死に声を出そうとしている。
「あ、あ、あの、あの……」
何が言いたいんだろう。わからないから、私は読み続けた。
『手紙を読んで、呆れました。
自分がどれほど孤独か。父はホームの料金だけ払って、一度も面会に来てくれない。孫である私を心の支えにしている。会いたい、できれば私を引き取って、一緒に暮らして欲しい――。そんなことが書かれていました。
反省の態度など、微塵も読み取れませんでした。
私の母を殺し、弟か妹を殺したのに。謝罪の言葉もありませんでした』
長谷川さんの目から、涙がぽたぽたとこぼれ落ちた。膝の上の握りこぶしに、大粒の涙がしたたり落ちる。
何か言いたくても、もう声も出せないみたい。
『だから、私は復讐することにしました。
あなたには「孤独」と「絶望」を味わってもらいます。
あなたは誰にも愛されず、誰からも慕われないまま、一人寂しく死んでゆくのです。
ただし、その前に、あなたが犯した罪と向き合ってもらいます。
自分が何をしたのか。どれほど罪深い人間なのか。この手紙で、あなたは思い知ることでしょう』
長谷川さんは正座のまま、背を丸めてうずくまってしまった。
おはぎみたい、と私はちょっと思った。
もう聞こえていないかもしれない。でも気にせず、最後まで読み続けた。
『あなたが絶望し、孤独に苦しむさまを、私はたっぷりと見物させてもらいます。
それが、あなたのかわいい孫の願いです。
願いのとおりにしてくれると、私は信じています。私のお願いは、何でも聞いてくれますよね、おばあちゃん?
追伸
どうか体に気をつけて、長生きしてください。
簡単に死なれては面白くありま』
ここで長谷川さんが号泣しはじめて、最後まで読み切ることはできなかった。あとちょっとだったのに。
でも、まあ、これで充分か。
私は手紙を丁寧に畳んで、ポケットにしまった。ベッドの長谷川さんをそのままにして、個室を出た。扉をきっちり閉めたのに、泣き叫ぶ声は廊下まで漏れていた。
「ねえ、結城さん。あの声って……」
廊下ですれ違った先輩に、そう聞かれた。
「ええ、長谷川さんですね」
「またなの? このところ毎日じゃない」
「この分じゃ、今日もお昼ご飯は食べられそうにないですね。まあ、晩ご飯までには泣き止んでいるでしょう」
「だといいんだけど」
心配そうな先輩と別れて、ロッカールームに向かった。
――大丈夫ですよ、先輩。
本当はそう言いたかった。
そう、きっと大丈夫。夕方までには、きっと何もかも忘れてるはず。
だって長谷川さん、認知症だもの。
いくら久しぶりだからって、結婚して姓が変わったからって、孫の顔もわからないほどボケてしまっているんだもの。
私物のロッカーを開けて、手紙をバッグにしまった。そうそう、帰りに文房具屋さんに寄らなきゃ。封筒が切れてしまったから。
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前回と同じく、これも新作ではないです。が、これが初公開です。
前回の『再放送』と同じ時期に書いて、同じコンテストに応募しました。そしてやっぱり同じように、箸にも棒にもかからなかったのでした。ぎゃふん。
前回と同様、これも自信あったんですけどねえ……。いやーさすがに凹みましたわ。
なぜか保存したテキストにタイトルがなかったので、どうにか思い出して追記しました。確か悩んだ挙げ句、こんなようなタイトルつけたと記憶してます。正確じゃないかもしれませんが、ま、いいか。
このお話は、どこかのまとめサイトを読んでいて思いついたものです。
似たようなお話はありませんが、嫁姑のゴタゴタは定番ネタですね。こんなことが実際にあってもおかしくないなー、とは思います。
えー、さて。
前回の『再放送』とこちらのお話。両方読んでいただいた方は、あることにお気づきになったことと思います。
えー、実は私も書いてから気づきました。
書いたのは確かに同じ時期です。が、ネタそのものは全く別のところから出てきたんです。それがこんなことになろうとは……。
私の頭が単純すぎるってことなんでしょうか。それもまた悲しい話です。