歌鳥のブログ『Title-Back』

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アンミツ

   アンミツ

「私、虐待なんてしていません」
 女は震える声で言った。
「誤解なんです。あの子を傷つけるようなこと、私――」
「まあ、そう慌てないでください」
 調停委員が口をはさんだ。
「そんなに警戒なさることはありません。どうぞ、気をお楽に」
 そう言われたところで、女が気を落ち着かせることはなかった。緊張に全身を強ばらせ、肩はかすかに震えている。血の気の失せた顔は、紙のように白い。
「なにも、あなたを罰しようというのではないのです。あなたと、あなたのお子さんの現状を確認し、今後の方針を決める。ここはそういう場です」
 調停委員の説明に、女はうなずいた。唇がわずかに開いたが、声は出ない。
 裁判所の調停室。無機質で殺風景な室内に、長机と椅子がある。椅子は十脚用意してあったが、いま塞がっているのは三脚だけ。机の一方の側に女、向かい側に調停委員と、もう一人の人物が座っている。
 女は上質なスーツ姿。膝に載せたバッグは高級ブランドのもの。化粧も念入りで、少しでも良い印象を与えようという努力が見て取れる。だが髪は幾分乱れ、女の焦りと緊張を示していた。
「では、まず松本さんの方から、お嬢さん――亜沙美さんの現状についてご説明いただきましょう。お母さんも心配でしょうから」
 女はまたうなずき、無言の返答をした。
 調停委員の傍らにいた人物が口を開いた。口調は柔らかだが、表情は厳しい。
児童養護施設の松本です。何度かお会いしましたね?」
「……はい」
 女はようやく声を絞り出した。
「亜沙美さんは、昨日は病院でひととおりの検査を終えた後、そのまま病院に一泊しました。今朝からは施設の方に移り、私どもで保護しています」
「……そうですか」
 松本の説明を聞いても、女の表情は変わらなかった。娘の無事を知って安堵しているにしても、“検査”と聞いて動揺しているにしても、その感情は表に出ない。
「この調停がどのような結論に至るとしても、亜沙美さんの安全は確保されます。どうか、その点はご安心ください」
「……わかりました」
 女がうなずくのを待ってから、調停委員は手元のファイルを開いた。
「では続いて、亜沙美さん保護に至った経緯の確認に移ります。これは児童養護施設からの報告、ご近所にお住まいの方のお話、それに病院と消防署、警察からの報告をまとめたものです」
“警察”という単語を耳にした瞬間、女は目に見えて動揺した。が、調停委員はあえて事務的な態度を崩さず、何事もなかったように説明を続けた。
「亜沙美さんは現在五歳。母親――つまり、あなたと二人暮らし。現住所は市内のマンション。間違いありませんか?」
「……はい」
「ご主人とは半年前に離婚。原因は、ご主人の浮気ということですが」
 調停委員は報告書を読み上げた。女が現在無職であること、別れた夫からの慰謝料と養育費で生活していること、娘は保育施設に通わず、マンションで母親と過ごしていること、等々。女は特に口を挟まず、ただ「はい」とうなずくだけ。
 女が異を唱えようとしたのは、調停委員が報告書の三頁めをめくった時だった。
「一ヶ月ほど前、こちらの松本さんが、お宅を訪問されていますね」
「……はい、あの……」
「ご近所の方から、養護施設へ相談があったそうですね。『女の子が虐待されているようだ、泣き声と怒号が毎晩聞こえてくる。それに、何かを叩くような音も』というのが、相談の内容でした」
「違います! それは――」
「松本さんが訪れた時、あなたはこう言いましたね。『しつけのつもりで叩いた。もう二度としない。約束する』と」
「それは……そうです。でも私は――」
「しかしその二週間後、またご近所からの相談があった」
「違うんです! 私――」
「あなたは松本さんから警告を受けましたね。『次はない。次に相談を受けたら、警察に通報する』と」
「私、虐待なんてしていません!」
「そして二日前、お宅でボヤ騒ぎがあった」
 調停委員は終始変わらず、事務的な態度を崩さない。女の方は、緊張の面持ちから苛立ち、嘆き、怒り、恐怖と、話題が変わるごとに表情が変化する。
「燃えたのは台所のごく一部。ですが、亜沙美さんが激しく泣き叫んでいたため、大事を取って病院へ搬送した」
「……」
 女の返答はない。顔を伏せているため、表情は読み取れない。
 調停委員は報告書をめくった。
「亜沙美さんの診断結果です。気管に軽度の炎症、これは煙を吸ったためと思われます。それに、両手に熱傷――つまり火傷ですね。全治一~二週間ということです」
「……」
「加えて、腕と脚、背中とお尻に内出血。複数箇所」
「……」
「亜沙美さんは動揺が激しく、火傷や内出血の理由を聞き取ることはできませんでした。ですが、あなたはご存じのはずだ。そうですね?」
「……それは」
「亜沙美さんは病院で、泣きながら訴えていたそうです。『アンミツを助けて』『アンミツが死んじゃう』と」
「……」
 その単語を耳にしたとたん、女の肩が細かく震えだした。
「動物の名前ですか? マンションはペット禁止だそうですが」
「……」
「『ママがアンミツを殺そうとした』、亜沙美さんはそう訴えてもいるそうです。心当たりは?」
「……違います……」
「亜沙美さんの背中の内出血は、手の形をしていました。指の跡までくっきりと」
「それは……!」
 女はすすり泣きを始めた。
「あの子を……守るためです。仕方なかったんです……」

 一ヶ月ほど前だったと思います(と女は語った)。ひどい雨の降った、次の日のことです。
 私は亜沙美を、近所の公園に連れていきました。昼間、見るテレビがない時などに、よくそこで遊ばせるんです。前の日が雨で遊びに来れなかったので、あの子は嬉しそうでした。
 私はベンチで携帯を見ていました。あの子は植木のところで、なにかを熱心に見ているようでした。あの子はそんな風に、木や虫を観察するのが好きなんです。
 帰る時間になって、私は亜沙美に声をかけました。でも、亜沙美はその場を動こうとしませんでした。じっとして、植木を観察してるんです。
 またテントウムシかなにかだろう、毛虫だったら触らないように言い聞かせないといけない、私はそう思いました。しゃがんで、娘の指さしている木の枝を見ました。
 そこに、あいつが……アレがいたんです。
 五センチくらいの、細長いものでした。……いえ、ナメクジじゃありません。形はナメクジに似ていましたけど……体が半透明で、透き通ってるんです。体を通して、下の木の枝がはっきり見えていました。
 私は悲鳴をあげました。亜沙美は、私がなぜ驚いたのか、わからなかったようです。
「なんなの、それ」
 私は訊きました。あの子は首を横に振って、「わかんない。でも、いい子だよ。私の言うこと聞いてくれるの」と答えました。
「言うことを聞くって、どういうこと?」と訊きました。あの子が言うには、その半透明のモノは、あの子の指示どおりに動くのだそうです。「こっち」と指さす方向に移動し、「反対」と言えば逆に移動するのだ、と。
 もちろん、私は信じませんでした。
「そんな気味の悪いの、触っちゃ駄目」と言い聞かせて、私は亜沙美を連れ帰りました。それで終わったものだと思っていたのですが……甘かったようです。
 次の日にも、私はあの子を公園に連れていきました。
 その時、あの子はあの……あの気味の悪いものを、こっそり持ち帰ったらしいんです。……いえ、私は気がつきませんでした。たぶん、私が携帯を見ていた時に、枝ごとポケットに入れたんだと思います。
 それに気がついたのは、二週間ほど過ぎた日のことでした。
 その間、亜沙美は公園に行きたがらなくなりました。ただ部屋の隅で、お気に入りのカバンをいじって遊んでいました。……はい。お出かけする時用の赤いカバンで、普段はおもちゃをしまってあるんです。
 不思議には思いましたけど、私はあまり気にしませんでした。あの子がおかしなことをするのは、いつものことでしたから。
 ただ、その日は変に気になったんです。あの子がカバンを開けて、中に向かって話しかけているのを見て、おかしいな、と思いました。ひとりでおしゃべりするのはいつものことですけど、私が見ている時にはやらないので。
 あの子のカバンを取り上げて、開けてみました。
 そしたら……いたんです。アレが。
 最初に見た時よりも、すこし大きくなっているように見えました。七・八センチくらいでしょうか。色は半透明で、前よりも白く濁っていました。
 それから、その……からだの途中に、いくつかでっぱりがありました。その、オタマジャクシの足が生えかけているような感じで。そのでっぱりの部分を使って、あの子のお気に入りのサインペンに、しがみついていたんです。
 それが……頭の部分をもたげて、こっちを見たように見えました。私と目があったような、そんな気がしました。
 私は悲鳴をあげて、カバンごと窓から放り出そうとしました。そうしたら、亜沙美が私よりも大声で叫んで、カバンを取り返したんです。
「アンミツをいじめないで!」
 あの子はそう言いました。
 アンミツ――というのが、あの気味の悪いものの名前のようでした。きっと、あんみつに入っている寒天から連想したんでしょう。そう、アレはちょうど寒天みたいな色をしていましたから。
 あんなモノに触れるだけでも気味が悪いのに、家に持ちこむなんて……! それも、名前までつけて可愛がるなんて!!
 私はあの子を叱りました。
 その……叩いたりもしました。あの子がカバンを抱えて離さなかったものですから。たぶん、その時の音がご近所に聞こえたんだと思います。
 なんとかカバンを取り上げて、サインペンをつかみました。直接手でアレを触る気にはなれなかったんです。窓を開けて、思いっきり投げ捨てました。
 あの子は泣きました。私はあの子を叱って……そう、その時の音も、外に聞こえたかもしれません。
 しばらくすると、あの子は疲れたのか眠ってしまいました。まだ晩ご飯の前でしたが、私はあの子をそのまま布団に寝かせました。罰としてご飯抜きにしようと思ってましたから、ちょうどよかったんです。
 その後の何日か、あの子はすねていました。
 時々すすり泣く以外、なにもしませんでした。ひとことも口をきかず、外にも出たがらず、食事もとろうとしません。無理に食べさせるのにも疲れてしまって、私は放っておくことにしました。おなかがすいたら勝手に食べるだろうと、そう思ったんです。
 だから……一週間くらい前、あの子が夜中に起き出した時も、私は放っておきました。窓を開けてごそごそやっていましたが、気にしませんでした。
 次の日から、あの子は機嫌が直ったようでした。
 ご飯も普通に、いえ、以前よりもたくさん食べるようになりました。やっぱり外には出たがらず、私ともあまり話そうとしませんでしたが、私はほっとしました。
 ――いえ、ほっとしようとしていました。
 心の奥底では、私は不安でした。あの子は相変わらず、あのお気に入りのカバンを抱えていましたから。トイレに行く時にさえ、手放そうとしないんです。私が見せるように言っても、頑なに拒絶しました。
 私は耐えました。きっとなんでもない、きっと気のせい、そう自分に言い聞かせました。
 でも、とうとう限界がきました。
 おとといの夜、私は我慢できなくなって、あの子が寝ている隙にカバンを開けてみました。
 そしたら……思った通りでした。
 アレが、いました。そこに。
 いえ、もうアレはアレではありませんでした。以前に見た時のような半透明ではなく、ナメクジのようでもありませんでした。
 どちらかといえば……似ていたんです。人に。
 大きさは十センチくらいになっていました。白い手と、白い足が、白い胴体から生えていました。全体が白く、ぬめぬめしていて、不器用な飴細工の人形みたいでした。
 頭の部分には、目も鼻もありませんでした。ただ、口がありました。
 呆然とする私に、その口が動いて、そして、言ったんです。
「ま、ま……」と。
 私は――頭が真っ白になりました。台所に駆けこんで、コンロの火でカバンを燃やそうとしました。
「やめてぇぇっ!」
 亜沙美の声がしました。あの子が必死に火を消そうとするのを、私は叩いて止めました。火は燃えあがり、広がって――。

「全部、あの子のためなんです」
 女はすすり泣いている。刺繍の入った白いハンカチで、しきりに目元を拭っている。調停委員は、その様子を無言で見つめる。
「あんな……あんな気味の悪いもの、あの子に触れさせるわけにはいきません。引き離さなくては、どうにかしてあの子を、あの気味の悪いものから守らなくては、そう思って、私は――」
「結構です。お話はよくわかりました」
 調停委員が、片手を挙げて遮った。その表情は冷淡で、声には感情がこもっていない。
「正直なところ、あなたのいまのお話は荒唐無稽だ。そのような生物が実在するとは、私には信じられません」
「本当なんです!」女は叫んだ。「調べていただければわかります。焼け跡に、あの……アレの死体があるはずです。私、確かに――」
「確かに、台所の焼け跡からは焼け焦げたバッグが発見されました」
 調停委員は資料をめくった。
「分析の結果、バッグの中身はプラスチック、ゴム、金属――これらは文房具だと思われます。それに灰になった紙と木の枝、菓子の包み等。あなたのおっしゃるような生物の痕跡は、報告されていません」
「そんなはずはありません!」
 女は頑なに言い張った。
「私、確かに見たんです。アレが火に包まれて、苦しそうにもがいているのを。あれで生きていられるはずが――」
「その生物の存在以外にも、あなたのお話には奇妙な点が多い」
 調停委員の顔に、かすかだが怒りの表情が加わった。
「まずは時期的な問題。あなたは、その生物を最初に目撃したのが一ヶ月前。亜沙美さんが部屋に連れこんでいるのに気づいたのが、その二週間後だとおっしゃった。ですが、最初に近所の方から相談があったのが、およそ一ヶ月前なんですよ」
「え……」
「相談の内容はこのようなものでした。『ずいぶん前から、毎日のように子供の泣き声が聞こえてくる。叩くような音と、母親らしい人の怒鳴り声も聞こえてくる。虐待ではないだろうか』。あなたは二週間ほど前から、しつけのために亜沙美さんを叱ったとおっしゃる。証言が食い違っていますね」
「それは……それは、きっとなにかの間違いで――」
「亜沙美さんはずいぶん小柄な子ですね。同じ年齢の平均体重より、4キロも軽い」
「あ、あの子はもともと小食なんです。それに、そう、最近は食事をこっそり隠して、あの、アレに食べさせていたみたいで――」
「この一ヶ月の間に、体重が4キロも減るなどということはあり得ません」
 調停委員は、女の言葉をすべて無視することに決めたらしい。
「あなたはずいぶんとご立派な身なりをしていらっしゃる。服もアクセサリーも、そのカバンも高級ブランドの品だ。ですが、亜沙美さんの着ていた服は、どれも量販店で売られているものばかりです」
「……」
「マンションのお部屋も拝見しました。キャビネットの中に、高級ブランドのカバンはたくさんありましたが、亜沙美さんのおもちゃは見あたりませんでしたよ」
「あ、あの子は……そういうのが好きじゃなくて……」
「好きかそうでないか、ひとつも買い与えなくてどうやって判断するんです?」
「……」
「仮にそうだとしても、元ご主人からの慰謝料と養育費をブランド品のカバンに注ぎ込んでいい理由にはなりませんよ。あなたは亜沙美さんのために、毎月いくら使っていますか?」
「……違います」
「疑問の余地はない。これは完全に虐待です」
 調停委員はファイルを閉じた。これ以上の資料は必要ない、という意思の表れだった。
「……違うんです。私……」
 女はうつむき、肩を震わせている。その口から漏れるのは、ただ否定の言葉ばかり。
「しかも、あなたは奇怪な生物の話まで持ち出して、虐待を正当化しようとした。反省しているとは思えません」
「違います……本当に……」
「亜沙美さんをあなたと同居させるわけにはいかない。当分の間、亜沙美さんには施設で暮らしていただくことになります」
「そんな……」
「あなたには、こちらの指定する医療機関にてカウンセリングを受けていただくことになるでしょう。断ることは可能ですが、その場合、亜沙美さんとの面会はできないと思ってください」
「……違うんです」
「この決定に不満がおありでしたら、以後は裁判ということに――」
 調停委員の説明は続いた。が、女には届いていない。女はただ、弱々しく首を横に振り、小声でつぶやくだけ。
「違うんです……違うんです……」

 二ヶ月後、同じ部屋に同じ顔ぶれが集まっている。
 ただし、二ヶ月前とはかなり様子が異なる。調停委員の態度は前回ほど事務的ではなく、養護施設の職員に至っては、微笑すら浮かべている。
 対面して座る女は、幾分緊張気味ではあるが、青ざめてはいない。服装も、前回の華美なブランド品ではなく、落ち着いた質素なもの。
「カウンセラーから報告が届いています」
 と、調停委員が口を開く。
「経過は良好、とのことです。当初見られた自己憐憫や、責任を他に押しつけるような言動は消え、この数回の面談では反省の態度も見受けられる、と」
「はい」
 女の返答は明快だった。視線もまっすぐ、正面から調停委員へ向けている。
「自己を分析するような言動も見られる、とあります。『自分はどんな人間に見えるか』『人として、自分はどう行動すべきなのか』など、積極的に質問しているそうですね」
「はい……変わらなければ、と思って」
「同時に、亜沙美さんの身を案じる言葉も聞かれるようになった。『元気にしているか』『ちゃんとご飯を食べているか』など」
「それは……母として当然のことです。以前の私は、そのことに気づかなかったようですけど」
「亜沙美さんとの面会も、先週から続けられているそうですね」
 女の表情が、ふっと和らいだ。
「はい、毎日」
「松本さん。面会時の様子を教えていただけますか」
「何も問題はありません。終始和やかに、いたって普通の母子として過ごしています」
 質問された施設職員は、微笑を保ったまま答えた。真面目な表情を取り繕おうとしても、頬が緩むのを抑えられないようだった。
「昨日は、亜沙美さんが描いた絵をお母さんに見せていました。なんの絵なのか、私どもにはわかりませんでしたが、お母さんはすぐに『私の絵ね』とわかったようです。亜沙美さんは嬉しそうでした」
「そうですか。特に印象に残った出来事はありますか?」
「やはり、最初の面会の時ですね。……亜沙美さん、最初はお母さんを怖がって、近づこうとすらしなかったんです」
 話を聞きながら、女は悲しげに目を伏せた。
「物陰に隠れた亜沙美さんに、お母さんが声をかけたました。なんと言ったのか、私には聞こえませんでしたが――そのとたん、亜沙美さんは態度を一変させました。お母さんに飛びついて、大声で泣き出したんです。怯えたのではなく、ほっとした様子でした」
「お母さん。その時、亜沙美さんにどう声をかけたんですか?」
「はい。正確ではありませんが……」
 女は顔をあげ、はっきりとした声で答えた。
「『怖いお母さんはもういません。ここにいるのは、優しいお母さんですよ』――と、そのようなことを伝えました」
「なるほど。よくわかりました」
 調停委員は施設職員と視線を交わした。二人の間では既に、結論が出ているようだった。
「どうやら問題はなさそうですね。結構、亜沙美さんの一時帰宅の許可を出しましょう」
 女は顔を輝かせた。
「本当ですか」
「あくまで一時帰宅ですので、勘違いなさらないように。帰宅を認めるのは夜の間のみです。昼間は今と同じように、施設に滞在していただきます。ただし、その間お母さんが施設を訪れるのは自由です」
 調停委員に釘を刺されて、女は表情を引き締めた。
「はい、それでかまいません」
「カウンセリングは継続して受けていただきます。また、松本さんが抜き打ちでお宅を訪問することもあります。何か問題があれば、ただちに亜沙美さんを施設に収容することになります」
 最後の言葉を、調停委員は笑顔で締めくくった。
「そうならないことを、心から祈っています」

 いくつかの手続きを済ませた後、女は児童養護施設を訪れ、女の子と共に帰宅した。手をつないで立ち去る二人を、施設職員は笑顔で見送った。
「ねえ、お母さん」
 声が届かないほど離れたのを確かめてから、女の子は小声で尋ねた。
「どうしても『お母さん』って呼ばないとだめなの?」
「それはそうよ。だって『お母さん』だもの」
「そうだけど、でも変だよ」
 女の子は納得がいかないようだった。
「お母さんは怖い人で、怒ったり叩いたりする人だもん。今のお母さんは、そうじゃないもん」
「今の私も『お母さん』よ。大丈夫、すぐ慣れるから」
「うん、わかった」
「じゃあ、お買い物してから帰ろう。晩ご飯はなにがいい? お母さん、おいしいご飯作ってあげる」
「ご飯作れるの? アンミツすごいね!」
「こら。『お母さん』でしょ」
「あっ、そうだった。ごめんね」




 新作です。久々のホラー。
 書いてる最中に「こりゃ途中でネタバレするなー」と思ったんですが、もう途中まで書いちゃってたので、勢いで最後まで持っていきました。途中でバレても面白いようなお話になってると思うんですけど、どうでしょ。
 なお仮題は『母さんに似たもの』でした。こっちの方がもっとネタバレ。

 追記:アップして2時間後に修正しました。詳しくはコメント欄をご覧ください。……とほほ。