【断片】【ここにいない由佳里】アイ・マイ・ミー・マイン
アイ・マイ・ミー・マイン
中一の五月。学校帰りのがじゃまる公園に、その子は突然現れた。
「ひぁぁぁぁっ!」
ベンチに座っていた由佳里が、悲鳴をあげて立ち上がった。
「なにやってるの?」
「な、な、な、なんか足に触ったっ!」
私と舞が呆然としていたら、ベンチの下から小さなかたまりが顔を出した。
「わっ」
私もびっくりして、思わず悲鳴をあげてしまう。由佳里が目を丸くして、しゃがみこんだ。
「……猫?」
それは黒白の、牛柄の猫だった。
大きくも小さくもない、普通の猫。首輪はしていなかったけど、毛並みはきれいで、あまり野良っぽくはない。大きな目は切れ長で、長い尻尾をくねくね揺らしている。
「うはっ、かーわいーっ!」
由佳里は歓声をあげて、指を一本差し出した。猫はくんくん匂いを嗅いでから、指に鼻先をこすりつけて、ごろごろ喉を鳴らした。
「うひゃーっ、なにこれ超かわいいんだけど!」
「ずいぶん人に慣れてるね。野良じゃないの?」
「ミー」
「えっ?」
「ミー。この子、ミー」
どうやら舞は、この猫と顔見知りらしかった。
「うちでは“ミー”って呼んでるの。隣の品田さんは“ぶち”って呼んでる。向かいの竹井さんは“ロース”って」
「猫にロースって……牛柄だからって、それでいいわけ?」
「近所の人で、交代でご飯あげてるんだ。たまに私もあげてる」
「ああ、そっか。地域猫なわけね」
「ちいきねこ? なにそれ?」
事情がわからないらしい由佳里に、私は説明した。
「ほら、耳がちょっと欠けてるでしょ」
「あ、ほんとだ。痛そー」
「去勢してますよ、ちゃんと面倒見てますよ、っていう印なんだって。その印がある猫は、保健所に連れてかれなくって済むわけ」
「ほぇー、この子去勢されちゃってんのか」
痛々しく顔をしかめて、猫の顔を見つめる由佳里。
「そっかー。かわいそーに、お前はオスでもメスでもなくなっちゃったんだねー」
「そんなわけないでしょ」
「メスだよ。女の子」
「わかってるよー。言ってみただけじゃん」
わしわしと猫を撫でる由佳里。ちょっと乱暴すぎじゃないか、と私は思ったけど、猫は気持ちよさそうに目を細めるだけ。舞も手を伸ばして、猫の背中をそっと撫ではじめた。
「ミー、お腹減ってる?」
「にゃあ」
「きゃははっ、こいつ返事したよ。天才じゃん?」
「すごく人なつっこいね。撫でられ慣れてる感じ」
感心しながら見ていると――猫はぷいっと二人の手から離れて、ベンチに座っている私の足元にやってきた。
「え、ちょ、な、なにっ?」
思わず凍りつく私。猫はくんくん鼻を鳴らして、私の匂いを嗅いでから、ソックスを履いた足に顔をこすりつけ始めた。
どうしよう、一日履いたソックスなのに、臭くないといいけど……と、そんなバカみたいな考えが頭をよぎった。
「これ……なにしてるわけ?」
「挨拶。こんにちは、ってしてる」
「藍音が撫でてあげないから、拗ねてるんじゃん?」
「……そう言われても」
私は、動物が苦手だ。
嫌いなわけじゃない。かわいいものは好き。だけど、私の周りには動物がいなくて、それまで触れる機会がなかった。
由佳里はたしか、従妹の家に猫と犬がいたはず。舞は、よく小学校のニワトリを観察したり、近所の家の犬を観察したりしている。そのまま懐かれて、友達になったこともある。
動物慣れしていないのは、私だけ。
「にゃあ」
足元が温かくって、くすぐったかった。
その感触は嫌じゃない。ただ、どうすればいいか、わからない。
「……ねえ、これ、どうすればいいわけ?」
まとわりつく猫に、私は為す術がない。逃げることもできない。
「遊べばいいじゃん。撫でてあげなよ」
「……どうやって?」
「どうやって、って、なにそれ」
由佳里にまで呆れられてしまった。
「手で撫でてあげればいいんだよ。よしよし、って」
舞は身振り手振りをつけて教えてくれた。けど、やっぱり、私は動けない。
――私は動物が苦手。そして、想定外のことも苦手。
予想もしていなかったことが突然起こると、私は対応できない。普段はきっちり計画を立ててから行動するんだけど、一度計画が崩れてしまったら、もう自分ではどうしていいか、わからなくなる。
「波戸ちゃん、もしかして、猫怖い?」
「違う。違うの。怖くない」
怖いわけじゃなかった。すごくかわいい。撫でてあげたい。できれば抱きしめたい。
でも、どうしたらいいのか、わからない。
「触っても平気なわけ? 逃げない? 嫌がらない?」
「乱暴にしなきゃ平気だよ」
「乱暴って、どのくらいが乱暴なわけ?」
おろおろする私にもどかしさを覚えたのか、猫が行動を起こした。
「ひっ」
猫はぴょんっとベンチに飛び乗ると、私の膝に登ってきた。
そして、そのままくるんと丸くなってしまった。
「あーっ。いいなーそれ。藍音ずるいぞーっ!」
由佳里が歓声をあげた。私は、喜ぶどころじゃない。
「……なにこれ。なにしてるわけ?」
訊くまでもなかった。猫は目を細めて、そのまま動かなくなった。
「ミー、眠かったのかな」
「……なんで? なんで私のスカートで寝るわけ?」
「寝心地いいからだよ。藍音の膝枕、気持ちいいもんねー」
「由佳里に膝枕なんて、一度もしたことないじゃない」
私たちの声が耳障りなのか、猫はぴくぴくっと耳を動かしている。
呼吸と一緒に、胸がゆっくり上下して、私の膝に柔らかなリズムを伝えた。なんだか、くすぐったくてたまらない。
「……」
そっと手を出して、上下する背中に触れてみた。
「わっ」
「どしたん?」
「……温かい」
「そりゃ当たり前じゃん。生きてんだから」
ぬいぐるみの感触とは、ぜんぜん違った。温かくて、柔らかい。
「……」
そのまま、手のひら全体を使って背中を撫でた。猫は大人しく、私の手を受け入れてくれた。
「あ」
と、しばらく黙っていた舞が、いきなり小さい声で叫んだ。
「なに? どしたん舞?」
由佳里が訊くと、舞は私の顔を指さして、
「あい」
次に自分の胸元を指さして、
「まい」
それから最後に、私の膝で眠る猫を指さして、言った。
「みー」
「あ、そうか。“アイ・マイ・ミー”ね」
私がそう答えると、由佳里が頭を抱えて叫んだ。
「なにそれ。あたしハブられてんじゃん!」
猫は(うるさいなあ)と言いたげに身じろぎして、耳をぴくぴくっと動かした。
――その後、由佳里は「今日から私を“マイン”と呼ぶこと!」とか、わけのわからないことを言い出した。もちろん、舞も私もスルーした。
私たちはしばらくの間、公園に残っておしゃべりした。私がベンチを動けなかったから、仕方ない。
その間、ミーはずっと私の膝で丸くなって、大人しく撫でられてくれた。
スカートが毛だらけになったけど、最高に幸せな時間だった。
女の子同士の他愛もない会話、プラス猫。
昨日アップしたお話の5年後のお話です。が、やってることはあんまり変わりません。
藍音は語り手なので、あんまり藍音のかわいいところを出す機会がありませんでした。カタブツでかわいげのない女の子ですが、でもかわいいんですよ。と、そんなところを出せてたらいいなー。
昨日のお話と同じく、これも『ここにいない由佳里』の第三部に入る予定です。もういい加減ネタ考えてないので、そろそろ第二部のお話に手をつけたいと思います。
昨日のお話ともども、感想とかありましたらお願いします。
そして引き続き、第一部公開中です。こちらもよしなに。