歌鳥のブログ『Title-Back』

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漬け物石の計算

   漬け物石の計算

 病室に入ると、妻が私を見るなり言った。
「あなた誰?」

 ベッドの上で、妻は放心したように私を見ていた。
 私もまた、頭に霞がかかったような気分だった。そのままの状態で別室に連れていかれ、そこで医者の話を聞いた。
 事故はその日の朝に起こったそうだ。通勤のため自転車に乗っていた妻は、後ろから車に追突された。自転車ごと横倒しになり、アスファルトで頭を打った。
 設計士という職業柄、私は反射的に、頭の中で計算をしてしまう。妻の身長は152センチ。頭部の重さを6キログラムとすると、落下時の衝撃は……いや、車と自転車の速度も考慮すると……。
 混乱した頭では、まともな計算などできるはずがなかった。
「脳には異常ありません、今のところ」と医者は言った。
「頭蓋骨も、軽くひびが入った程度です。検査のため数日間入院していただきますが、まあ問題はないでしょう」
 では妻の記憶はどうなのか、と私は尋ねた。当然の疑問だろう。
「それはまた別の問題です」というのが、医者の返答だった。
 脳に異常がなくても、記憶が混乱することはあり得るらしい。
「奥様の場合、過去の記憶が完全に欠落しています。これまでの生活、すべてを」
 言葉は理解できる。“ベッド”や“先生”といった単語の意味も覚えている。水道の使い方や、テレビのリモコンの使い方もわかる。
 ただ、思い出がない。
「ご家族や職場に関わる記憶も、全て失われています。そのせいで、ご主人への連絡が遅れた次第でして」
「日常生活に支障はありません。検査で異常が出なければ、すぐに退院できます」
 実家に返した方がいいのでは、と言われた。が、妻の両親はすでに他界していて、妻の実家はもう存在しない。他に頼れるような親戚もいなかった。
 私が妻を支えるしかない。
 もちろん、私は喜んでそうするつもりだった。
 結婚して1年。ようやく軌道に乗り始めた生活を、崩したくはなかった。

 妻は意外なほどあっさりと、私が夫であるという事実を受け入れた。
「だって、こうして毎日お見舞いに来てくれるじゃない」
「優しい人ね。私はきっと、あなたの優しさが好きで結婚したんだと思う」
 私は驚いた。妻に「優しい」などと言われた記憶はない。「好き」とはっきり口に出されたのも、これが初めてだ。
 妻は自分の記憶喪失をあまり深刻に考えてはいないらしく、その事実も私を驚かせた。
「気長に構えるしかないよ。ふとしたきっかけで思い出すこともあるそうだから、それに期待しましょう」
 ベッドの上の妻はそう言ってから、いたずらっぽい笑みでつけ加えた。
「生活は大変かもしれない。でも、あなたが支えてくれるんでしょ?」
 いままで見たことのない笑顔だった。私はふいに、原因不明の胸の高鳴りに襲われた。

 妻が退院する日にあわせて、私は2週間の休暇を取った。当時の住まいは賃貸アパートで、他人との接触が多い。妻を1人きりで留守番させるのは、すこし不安だったのだ。
 車で妻を迎えに行った。頭の包帯が取れ、入院着から普段着に着替えた妻は、事故の前と変わりないように見えた。
 それが思い違いだということは、すぐに判明した。
「このままドライブしようよ。入院中、退屈でどうしようもなかったの」
 すぐにも家に帰りたがると思っていたので、私は呆気にとられた。妻はインドア派で、あちこち出歩くのを好まないはずだ。車に乗るのも、どうしても必要な場合に限られていた。
 私は妻に言われるまま、車を走らせた。
 この積極性は回復の兆しなのだろう、と、そう自分に言い聞かせた。それに、こうして様々な景色を見ることが、なにかを思い出すきっかけになるかもしれない。
 妻の積極性は留まるところを知らなかった。フロントグラスに身を乗り出し、気になるものを見つけては「あのお店はなに?」「あそこ、変わった建物がある」と声をあげた。時には車を止めさせて、飛び降りることもあった。私は駐車場を探すのに四苦八苦した。
 途中のレストランで食事を済ませ、帰宅する頃にはすっかり暗くなっていた。
 玄関をくぐったとたん、妻は私に身を寄せてきた。
「夫婦なんだもん。いいよね?」
 嗅ぎ慣れた妻の体臭が、鼻孔をくすぐった。
「入院中、ずっと我慢してたの……」
 灯りをつけるよりも前に、唇を奪われた。
 唇の感触は、いつもの妻のものだった。だが私は、誰か別の人間とキスをしているような感覚を覚えた。

 あの事故で破損したのは、妻の記憶だけだった。骨折はすっかり回復したし、自転車もほぼ無傷だった。よほど綺麗に倒れたのだろう。
 妻は自転車に乗りたがったが、私は反対した。あんな事故の後では、不安を覚えて当然だ。
 だが妻は納得しなかった。
「病院で目覚める前のこと、私はなんにも覚えてないの。病室のベッドで寝ている光景が、私の記憶の全て。私、もっといろんな景色を見たい。できるだけ体を動かしていたい」
 結局、近所のスポーツジムに通うことで妥協した。私もついでに入会し、2人でトレーニングに汗を流した。
 複雑な気分だった。事故に遭う前の妻は、内向的で家庭的な女性だった。読書と料理が趣味で、手間のかかる料理を何時間もかけて作るのが好きだった。
 今の妻は、しきりに外出したがった。料理には興味ないらしく、何十冊もある料理の本を開こうともしなかった。
 休暇の間、食事の仕度は私がすることになった。

「よくある症例です」と医者は言った。
 性格は持って生まれたものではなく、それまでの人生の積み重ねによるもの。記憶を失い、人生がリセットされたのだから、性格も変化して当然だ、と。
「急いで記憶を取り戻そうとする必要はありません。気長にいきましょう。……もっとも、奥様が現状にストレスを感じておられるのでしたら、話は別ですが」
 妻にストレスがあるとは思えなかった。新しく思い出を作ることに忙しく、過去のことはそれほど気にならないようだった。
 私がそう伝えると、医者はなるほど、と頷いてから、こう尋ねてきた。
「ではご主人はどうです? 奥様に変化が生じたことで、ストレスを感じておられますか?」
 私はどう答えていいのかわからなかった。

 私は休暇を終え、仕事に戻った。職場は私の事情を考慮し、極力残業をしないで済む仕事を回してくれることになった。
 妻は休職扱いとなった。記憶が戻らないと仕事にならないので、これは仕方のないことだった。当然収入は減ったが、保険金と加害者からの慰謝料で、生活はどうにかなった。
 料理と読書に代わって、散歩とジム通いが妻の趣味となった。
 平日の昼間は徒歩であちこち出歩き、夕方にはジムで私と合流する。共に汗を流してから、近くのレストランで夕食を摂る。それが、私たちの新たな日課
 レストランでの妻は饒舌だった。妻はその日の出来事を熱心に語り、私は黙って耳を傾けた。
「今日は隣町まで行ったよ。大きな神社があって、境内に犬がいてね。真っ白い、熊みたいな大きな犬で、でもすごく大人しくって――」
 あの神社のことか、と私は見当をつけ、脳内で計算を始める。家から神社までは片道10キロ、徒歩で時速4キロと仮定すると、所要時間は2時間半――。
 計算を続ける脳の片隅で、私は無口で大人しかった、かつての妻を思い出した。ふと寂しさがこみあげてくることもあったが、そんな些細な感情はすぐに、妻の陽気なおしゃべりで押し流された。
 週末にはドライブに出かけた。
 たいていの場合、行き先は妻が決めた。タウン誌などでこまめに情報を拾っては「ここに行きたい」と訴えるのだ。
 どこへ行っても、妻は好奇心に瞳を輝かせ、その場所を存分に堪能し、満足げな表情で帰路についた。
 妻の故郷まで足を伸ばしたこともあったが、過去を思い出すきっかけにはならなかった。もっとも妻も私も、それほど期待してはいなかったのだが。
 夜になると、妻はより積極的になった。
 妻が自分から誘いをかけるようなことは、事故の前には決してなかった。私は妻の大胆さに驚き、同時に、そんな彼女を受け入れている自分に驚いた。
 夜が更けると、妻は眠った。事故の前と変わらない、おだやかな寝顔で。

 そんな毎日だったから、そう日が経たないうちに妻は妊娠した。
 妻はつわりの最中にも散歩に行きたがった。だが私が反対すると、あっさり聞き入れてくれた。
 ジム通いも中断した。その代わり、通信販売でダンベルを購入した。1.5キロのダンベルを2本。
 日に日に大きくなってゆく腹を抱えつつ、両手のダンベルを交互に持ち上げる妻。その姿はユーモラスだが、私の心を和ませてくれる光景だった。
 出産は極めてスムーズだった。「お母さんが運動しているのが良かったんでしょうね」と、看護師に言われた。大声で泣き叫ぶ赤子を、私は慎重にこの手に抱いた。
「女の子です。お母さんによく似た、元気なお子さんですよ」
 ふと複雑な感情が、私の心をよぎった。が、初めて抱く我が子のかわいさに、一瞬で忘れてしまった。

 親子3人で暮らすには、アパートの部屋は狭すぎた。
 手頃な中古住宅を見つけて、引っ越すことにした。それほど広くはないが、私たち家族には充分な家だった。夫婦の寝室と子供部屋、居間とダイニングキッチン。
 立派なキッチンは不必要かと思ったが、内見の時に妻がこう言い出した。
「いいお母さんになりたいから、料理も頑張ってみるよ。事故の前には、私も料理してたんでしょ? だったら、覚え直せば私にもできると思う」
 引っ越してすぐ、妻はその言葉を実行に移した。子育ての傍ら、本を片手に料理の練習を始めたのだ。当初はひどい出来だったが、妻は好奇心を存分に活かして、めきめき腕を上げていった。
「いい母親になりたい」という目標も、ほぼクリアしていたと思う。
 親子というより、仲のいい友達のような関係ではあったが。妻と娘は一緒に遊び、一緒に笑い、一緒に泣き、一緒に成長した。

 そんな生活に異変が起こったのは、娘が2歳になろうかという時だった。
 その日は休日だった。私が二度寝を堪能していると、娘が泣きながら寝室に飛びこんできた。
「パパ、パパ! ママが変!」
 私は目をこすりながら、娘に手を引かれて廊下に出た。キッチンに足を踏み入れたとたん、眠気は吹き飛んだ。
 床に包丁が突き刺さっていた。妻はその傍らで、頭を抱えてうずくまっていた。
 顔を上げて私を見ると、妻はつかの間、安堵の表情を見せた。が、私と手をつないでいる娘の姿が目に入ると、表情を崩し、取り乱して泣き叫んだ。
「ここどこ!? その子は誰なの!?」

 医者は「よくあることです」と、いつかと同じようなことを言った。
「包丁を落としたショックで、記憶が戻ったんでしょう。その代わり、記憶を喪失していた3年間の出来事は、すっかり忘れてしまっています」
 言うまでもなく、妻は混乱した。私はどうにか妻を落ち着かせて、根気強く説明を繰り返した。やがて妻は平静を取り戻し、徐々に現実を受け入れた。
「私、3年もあなたに頼りっぱなしだったのね……」
 ごめんなさい、とうなだれる妻に、私は「迷惑だなんて思ったことは一度もない」と言い聞かせた。妻は納得していないようだった。
 妻の状態も気がかりだったが、それ以上に娘のことが心配だった。
 今の妻は、娘の存在を知らない。娘も、記憶を失っていた間の妻しか知らない。2人を共に生活させて良いものか、私は悩んだ。

 私の不安は杞憂に終わった。
 病院の待合室で、妻と娘は長いこと話し合ったらしい。私が病院の外で待っていると、2人は手をつないで出てきた。
「ちゃんとご挨拶もできるし、お礼も言える。私の話をいっしょうけんめい聞いてくれる。すごくいい子。私、この子をしっかり育てていたのね」
「産みの苦しみを経験しないで子供ができるなんて、ちょっと得した気分。それに、すごくかわいいし」
 娘と話したことで、妻は私への罪悪感を軽減できたようだ。
 娘の方も、心配していたほどの混乱は起こさなかった。
 もちろん戸惑いはしただろうし、事情を理解できる年齢でもない。だが性格は変わっても、妻の外見や声は以前と同じ。娘は彼女なりに納得して、新しい母親を受け入れてくれた。

 私もまた、新たな状況を受け入れることにした。
 妻は、以前とは違う意味での「いい母親」になった。娘と一緒に遊ぶ時間は減ったが、本を読み聞かせたり、物の名前を教えたりする時間が増えた。娘は1人での遊びを覚え、妻はそんな娘をおだやかな笑顔で見守った。
 休日には私が娘を預かり、妻は読書を楽しんだ。夕食の準備に、たっぷり時間と手間をかけた。妻の手が魔法のように、様々な料理を生み出してゆく様子を、娘は瞳を輝かせて見守った。
 家族全員が幸せで、なにもかもが順調だった――ただひとつ、漬け物石を除いては。

 キッチンの隅には漬け物樽がある。妻が事故の前に使っていたものを、押し入れから引っ張り出してきたのだ。
 樽の中には茄子と胡瓜。樽の上には、使う者のいなくなったダンベルが、漬け物石の代わりに置かれている。1.5キロのダンベルが2つ。
 そのダンベルが目に入るたびに、妻のおだやかな寝顔が、私の脳裏をよぎる。
 そして、私は計算してしまう。
 そんな必要はない、今のままで充分幸せだ、そんな計算は意味がない――何度も自分にそう言い聞かせた。だが、私は計算するのを止められない。私の脳が、計算を止めてくれない。
 このダンベルをどの程度の高さから落とせば、事故の衝撃を再現できるか。あの事故と同じダメージを与えるには、眠っている妻の頭に、どのようにダンベルを落下させれば良いのか――。


 旧作です。が、そんなに古くもないです。
 upppiさん(http://upppi.com/)の『第2回ホラー小説コンテスト』に応募して、箸にも棒にもひっかからなかったやつです。そろそろほとぼりが覚めたかと思いますので、ブログのほうにもアップしておきます。
 景気よく4本も応募しといて、うち1本がひっかかったので、まあ無難な打率といえるでしょうか。このお話もそこそこ自信あったんですが、他のがひっかかったからこっちが落ちたんだ、と思いたい。
 ……そもそもこれホラーなのか、って話もあるんですけど。

 他のお話もそのうちアップします。