歌鳥のブログ『Title-Back』

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【ここにいない由佳里】【断片】ぴょん。

   ぴょん。

 放課後。私は帰り支度をしていた。由佳里は体操服に着替えていて、舞はノートを、なにか大事なものみたいに両手で抱きしめていた。
「今日は三人ばらばらか~。珍しいじゃん」
「ごめんね波戸ちゃん、一緒に行けなくって」
「うん、でもちょうどよかったかも」
 舞は美化委員会の集まりに行くところ。由佳里は部活。私は私で、別に行きたいところがあった。
「んじゃ、また後でね~。舞、委員会頑張って!」
「うん。波戸ちゃんも頑張って」
「特に頑張ることもないけど、ありがと」
 教室の前で二人と別れて、一人で学校を出た。駅の手前で陸橋を渡って、線路の向こう側へ。
 この日は、図書館の新装オープンの日だった。
 尾雛駅近くの図書館。改装工事が続いていて、行きたくても行けなかった。オープンしたらすぐに行こうって、ずっと前から決めていた。
 もちろん、由佳里と舞と一緒に行くつもりだった。けど、二人とも用事があるなら仕方ない。それに、私は本に夢中になりすぎて、二人に迷惑をかけることがある。一人の方がちょっとだけ都合がいい。
 着いてみると、まず建物の大きさにびっくりした。
 地上四階、地下一階。いちばん上の階は事務所みたいだけど、フロアが四つもある図書館、州上野にはない。
 フロアの中央は吹き抜けになっていて、そこにも驚いた。州上野でいえば、図書館よりも駅ビルの方に近い。
 時間はたっぷりあった。上の階から順番に、のんびり見て歩くことにした。
 オープン初日だからか、利用客が大勢いた。けど三階の哲学や宗教のエリアは、人がまばらで静かだった。真新しい、背の高い書棚の間を、ジグザグに歩いていった。
「あら」
 と、後ろで声がした。
 ――後から考えると、声を聞くのはその時が初めてだったはず。でも、なぜか、その声が誰の声か、その時の私にはすぐにわかった。
 振り返ると、同じ制服を着た女の子がいた。
 髪の長い、細身の女の子。ネクタイの色が私たちと違う。二年生だ。カバンを肩にかけて、手には分厚い単行本を二、三冊抱えている。
「こんにちは」
 すこしの沈黙の後、女の子はぎこちなく挨拶した。
 私は迷った。
 挨拶を返して、すぐにここを離れようか。それとも、挨拶もしないで無視してしまおうか。ほんのわずかの時間に、いろんな逃げかたを考えた。
 そして……私一人の時は、べつに逃げなくてもいいんだ、と気づいた。
「こんにちは」
 頭を下げると、女の子はほっとしたように笑った。
「波戸 藍音さんよね?」
「あ、はい」
「私は小雀 美沙(こすずめ みさ)。お話しするのは初めてね」
「……はい」
 逃げる必要はなかったけど、特に話があるわけでもなかった。それに、私は部活に入っていないから、上級生と話すことにも慣れていない。
 ただ、聞かれたことに答えるしかなかった。
「鶴城さんは? いつも一緒よね?」
「舞は、今日は委員会で」
「そうなの。それじゃあ寂しいわね」
「はい」
 そう答えた後、すこし間があった。女の子――小雀さんも、話題に迷っているみたいだった。
「なにか借りるの?」
「あ、いえ。今日初日だから、どんな本があるのか見に来ただけです」
「そうなの。私もそのつもりだったんだけど」
 と、小雀さんは抱えている本を持ち上げて、ちょっと笑った。
「見てるうちに、借りたいのがたくさん見つかっちゃって。図書室の本も借りてるし、読みきれるか微妙なんだけど、ついね」
 本の背表紙がこっちを向いて、タイトルが見えた。
“香水のなんとか”という、たぶん研究書。それと翻訳ものの小説と、日本史の本。……小雀さんがどういう趣味なのか、まるで見当がつかない。
「わかります、それ」
「そう?」
「はい。私もそういうこと、ありますから」
「そうなの。ちょっと嬉しいな」
 小雀さんはまた笑った。大人っぽい、落ち着いた笑顔。
「波戸さん、時間ある? すこしお話したいんだけど、いい?」
 逃げる必要はなかった。私一人なんだから、逃げなくてもいい。
 逃げる必要はないのだけど、逃げたくてたまらなかった。
「すみません、今日は……本見たいし」
「ああ、そう。そうね」
 小雀さんはうなずいたけど、ちょっと悲しそうな顔をした。ほんのすこし、胸が傷んだ。
「ごめんね、邪魔して」
「いいえ……あの、すみません」
「ううん、私こそ。あ、そうだ」
 と、小雀さんは左右を見回して、書棚の空いている部分を見つけると、持っていた本をそこに置いた。そして、制服のポケットからスマホを取出した。
「メールアドレス、教えてもらっていい?」
 やっぱりまだ、逃げたくてたまらなかった。
 けど、自分が失礼なことをしている自覚もあったから、断れなかった。
「わかりました」
「本当? やったっ!」
 と、小雀さんは両手で小さくガッツポーズして、ぴょんと飛び跳ねた。
 私はびっくりした。
 大人びたイメージの小雀さんが、この瞬間だけ、小学生みたいな笑顔になった。こんな表情もするんだ……と、すごく意外に思った。
 アドレスを交換すると、小雀さんはまた、落ち着いたいつもの雰囲気に戻った。
「ありがとう。じゃあ、またね」
 棚の本を抱えなおして、小雀さんは書棚の間に姿を消した。
「……」
 私は――すこしぼーっとしてしまって、しばらくその場から動けなかった。
 我に返ってからも、なんとなく気が抜けてしまって、何も考えられなかった。意味もなく、あまり興味のない哲学の書棚を、何度も往復したりした。
 そうこうしている間に、携帯に着信があった。思わず身構えてしまったけど、
『広くて迷いそう。波戸ちゃんどこ?』
 いつもの舞からのメール。私はほっとした。
 ロビーに戻って、舞と由佳里と合流した。図書館について話すより前に、私はさっきの出来事を話した。
「よかったじゃん、藍音」
 由佳里はいつもどおりの前向き発言だった。
「今までずっと、嫌な感じだったもんね、あたしら。嫌われてもしょーがないとこだったじゃん。嫌われてないどころか、ちょっと仲良くなれそうじゃん」
「仲良く……どうなのかな」
「波戸ちゃん、メールなら話しやすいんじゃない?」
「まあ、直接話すよりはね」
 舞も由佳里も、私に知り合いが増えたことを喜んでいるみたいだった。
 私自身は、ちょっと複雑だった。
 年上だし、いままで接点のなかった人だし、あまり積極的に関わりたくはない。けど、相手は文芸部の副部長だから、いろいろと教えてもらえることはあるかもしれない。
 それにやっぱり、今まで失礼な態度だった分、埋め合わせしたい気持ちもあった。
「まあ、メールもらったら返事するよ。私からはしないと思うけど」
「うん、それでいいんじゃん」
 由佳里がうなずいた。それに続けて、舞がぽつりとつぶやいた。
「白鳥さんとも、そんな感じで仲良くなれたらいいのにね」
「……そうだね」
 私はうなずくしかなかった。


 断片です。そして新キャラです。
 小雀さんは目の覚めるような美少女です。態度が控えめなのであまり目立ちませんが、たぶん2年生男子の間では大人気のはずです。
 まあ、あんまり出番はないと思いますが。

 で、さて。
 この一連のお話は、うちの近所とその周辺をイメージして書いています。
 主人公たちは相模大野のあたりに住んでいて、そこから電車で海老名に通ってるイメージです。そのまんまだといろいろ面倒なので、地名はちょこっと変えました。
 で、↑に出てきた図書館というのは、海老名の図書館のことでして。
 ……はい。一時期話題になった、あの海老名の図書館です。

 このお話を書き始めた時、ちょうど改装中だったので、お話でもそのようになりました。
 で、完成してみたらああなっちゃったわけです。
 そのまんまお話に組み込むとややこしくなるので、このお話では普通の、ただでっかいだけの図書館になりました。カフェとかも併設されてないです。販売もしてません。
 現実をモデルにすると、いろいろ厄介ですよね。ああ、地名変えておいて本当によかった。