歌鳥のブログ『Title-Back』

歌鳥の小説やら感想やらなにやらのブログです。よしなに。

日本にジプシーウーマンはいない、というお話。

 ご無沙汰してます。べつに義務とかじゃないですが、間が開くとなんとなく罪悪感が。
 暑いので辛辣なことを書きます。気を悪くされる方もいるかもしれませんが、ご容赦ください。まあいつもの駄文ですので。


 ……ああ、サブタイトルについてるじゃん。先にPV見とけばよかった。

 ネタバレしてますが、きっかけはこの曲でした。ネットラジオかなんかで久々に耳にして、ちょっと疑問に思ったのです。「このシーズ・ホームレスって聞こえるところ、実際にはなんて歌ってるんだろう」と。
 ↑の動画タイトルにありますね。はい。そのまんまでした。
 歌詞と訳はこちらをどうぞ。

 悲しい歌です。が、これダンスミュージックです。
 “ハウス”というジャンルの黎明期の曲だったと思います。私はこの曲で「ああ、ハウスってこういうのなんだ」と学びました。
 私は縁がありませんでしたが、当時のクラブとかではみんな、この曲で踊ってたわけです。こんな悲しい歌で。

 ジャンルは違いますが、スザンヌ・ヴェガの『ルカ』を思い出しました。虐待されている子供を描いた、やはりとても悲しい歌です。
 また↑のブログでも触れられているとおり、スティングはよく娼婦の歌を歌います。アメリカにはブルース・スプリングスティーンという大御所が、虐げられた労働者の歌を歌っています。
 ビリー・ジョエルも『アレンタウン』という曲があります。今はちょっと思い出せませんが、探せば他にもありそうな。
 『朝日のあたる家』って曲もあります。前ブログになんか書いたんですが、消しちゃったかな? 男性が歌うと刑務所帰りの歌に、女性だと娼婦の歌になるそうです。
 目先を変えるとスキャットマン・ジョンという人もいます。あっちこっちで何度も書いてますが、あの人ただのおもしろおじさんじゃないんですよ。


 私が知っているだけでも、これだけの曲があるわけです。
 社会に対する問題提起というか。現状を嘆きつつ「これでいいの?」「本当にこれでいいの?」と、聴く者に問いかけるような歌です。

 で、思ったんです。
 こういった、いわゆる社会的弱者の視点に立った歌、日本にはあるだろうか? と。

 ちょっと考えた結果、↓こういった曲が浮かんできました。有名どころだとこんなところでしょうか。

・『五木の子守唄』
・『ヨイトマケの歌』
・『神田川
浜田省吾『マネー』
ユニコーン『大迷惑』

 ……最後のは冗談です。まあ大外れってわけでもないと思いますが。
 ハマショーは、確かに労働者階級の歌ではありますが、上記に挙げた一連の曲とはニュアンスが違いますね。社会に対する怒りとかじゃなく、どちらかというと私怨というか。まあ、ロックです。
 神田川ヨイトマケは……これも社会に対して云々というより「労働って素晴らしい!」「苦労してるけど頑張ってる私って素敵!」みたいな。黙って耐える美徳、みたいなのが描かれている気がします。まあ良くも悪くも、これが日本人の特性なのかもしれません。

 というわけで。
 この中では唯一『五木の子守唄』が、近いニュアンスを持っているんじゃないかと思います。


 社会に……というか、子供に訴えかけていたんじゃないでしょうか。「なんで私がこんな目に」と。

 余談ですが……有名どころじゃなければあるんですけどね。


 真島昌利が直接的に歌っていることを、ブルーハーツは抽象的に、詩的に表現しているのかなーという気がします。うん、どちらにしろ素晴らしい。

 仮に、日本人が日本語でスプリングスティーンみたいな曲を歌っても、たぶん全然売れないだろうなー、と思います。
 社会派な歌はあります。たとえば原発の歌とか、環境破壊の歌とか。
 でも、日本にホームレスの歌はありません。

 「妊婦さんが電車の中でひどい目にあっている」みたいなニュース、最近よく目にします。「電車で席を譲りたがらない」という話は、ずっと前からありましたね。

 日本人は、社会的弱者のことを考えたがらないようです。
 それが日本人の特性なんじゃないか。と、そう思ったのです。

 で、ですね。思ったんです。
 自民党が政権を維持していられるのは、それが原因なんじゃないか、と。


 えーと。
 これは私にとっても、あまり喜ばしい結論ではありません。いちおう私も日本人なので。
 ですので、もし「社会的弱者を描いた日本の歌」がほかにもあったら、コメント欄とかで教えていただけるとありがたいです。

 トップの記事がこれだとアレなので、蓋かぶせておきます。