クライマックスの檻
クライマックスの檻
若い男のコートの前を開くと、シャツが赤く染まっている。傷口を見るまでもなく、手遅れだとわかる。帽子の男は無言で立ち上がる。
『待てよ。俺を見捨てるのか』
若い男が、恨めしそうに帽子の男を見上げる。
帽子の男は、隠しポケットから小型の銃を取り出し、倒れている若い男に放り投げる。
『こいつをやる。後は好きにしろ』
銃とその台詞を置きみやげに、帽子の男はその場を離れる。点滅する街灯の下、霧のたちこめる街路をひた走る。背後から足音と、セミオートの銃声が追いかけてくる――
「テレビを消せ」と俺は言った。
「非常時だぞ。暢気に映画なんて見てる場合か」
「こいつは作戦だよ。陽動ってやつだ」
相棒は笑って、さらにテレビのボリュームを上げた。
「ちょうど銃撃戦やってんだろ。こうしときゃ、誰かがこの部屋から撃ってきてると勘違いするじゃねえか。その隙に逃げりゃいい」
小学生並みの発想だ。俺は呆れかえった。
「うまくいくわけないだろ。見ろ、もうクライマックスだ」
テレビが流しているのは、古いサスペンス映画だ。主人公が狭い路地に追いつめられる。セミオートが火を噴き、主人公が倒れる。そしてエンドロール。哀愁漂うバッドエンド。
「終わったぞ。隣から文句を言われる前に、早く消すんだ」
――ここは港にほど近い、安宿の一室。
さっき窓から外を見たら、通りの向こうに黒塗りのセダンが停まっていた。さりげなく、宿の出入りを見張れる位置だ。
間違いない、あれは組織の車だ。俺たちは監視されてる。
増援が来れば、ここに乗りこんでくるだろう。その前に、隙を見て逃げ出さなくては。
「下着なんてどうでもいいだろう。金だけ積めろ」
テレビの音に負けないよう、相棒にそう怒鳴った。怒鳴りながら、俺自身も自分の分け前をコートの隠しポケットに詰める。うまくいけば、防弾チョッキの代わりになるかもしれない。
言うまでもなく、追われているのはこの金が原因だ。
地元の組織に架空の取引を持ちかけて、前金をいただくまでは順調だった。逃げ出す直前に仕込みがばれて、港に先回りされた。どうにかこの安宿に潜りこみ、朝まで息を潜めるつもりだったんだが……。
「終わったぜ」
相棒の声に振り向くと、奴はでかいスーツケースを閉じるところだった。こいつ、マジで着替えごと持って出るつもりだ。
「足手まといになったら見捨てるぞ。それと、テレビを消せ」
苦々しい気分でそれだけ言うと、俺は部屋を出た。相棒がばたばたとついてきた。
階段で一階へ下りる。ロビーには出ず、裏口へ向かう。途中、従業員用のロッカーから帽子とマフラーを拝借した。ちょっとでも外見を変えるためだ。相棒にはマフラーを渡し、俺は帽子を目深にかぶった。
夜の街に出る。ぱっと見たところ、裏口に見張りはいない。
うまい具合に霧が立ちこめていた。夜霧に紛れてこの場を離れ、裏通りでタクシーを捕まえられれば、この街を逃げ出せるかもしれない。
足音を忍ばせて歩き出す。と――冗談みたいな爆音が、通りに木霊した。
「馬鹿か。キャスターを転がすな」
「重いんだから仕方ねえだろ」
相棒の強ばった笑い顔に、俺は殺意を覚えた。相棒に対してじゃない、自分にだ。
こんな若造を相棒に選んだ、俺が間抜けだった。若さと勢いだけは人一倍だが、頭の中身が空っぽじゃ、どうにもならない。カカシでも引きずってる方がましだ。少なくとも、囮にはなる。
「そのスーツケースを置いて行くか、転がさずに持ち運ぶか、それとも今この場で俺に殺されるか。好きなのを選べ」
「置いてけるかよ。大金が詰まってんだぜ」
若造はスーツケースを両腕に抱え、よたよた歩きだした。俺は舌打ちして、先を急ごうとした。
と、また別の音が聞こえてきた。車のエンジン音、そしてタイヤの悲鳴。
「連中だ! 畜生、気づかれた!」
「逃げるぞ!」
慌てる若造に叫んでから、細い路地へと走った。若造は結局、スーツケースを放り出して俺を追いかけてきた。
走りながら考える。さっきちらっと見えた黒塗りのセダンは、表で見張ってたのと同じだ。まだ増援は到着していないだろう。
この路地は狭くて、車は入れない。あの車さえ撒ければ、どうにか――。
「くそっ、邪魔だ!」
若造が悪態をついて、カムフラージュのマフラーを投げ捨てた。俺は路地を抜け、大通りに出た。
その瞬間、ヘッドライトが目を焼き、視界が白く染まった。
俺は速度を緩めず、半ば盲目のまま次の路地へ飛びこんだ。
――しまった、あれは増援だ。待ち伏せされたか。撃たれずに済んだのは幸運だった。
「おい、待ってくれよ!」
「大丈夫か!?」
路地に転がりこんできた若造を助け起こす。息が荒い。コートを開くと、シャツが赤く染まっていた。
大通りから複数の足音。選択の余地はない。
「……待てよ」
立ち上がった俺に、若造が恨めしげな視線を向けてくる。顔には血の気がなく、唇はわなわなと震えている。
「俺を、見捨てるのか……」
俺は少し迷った。こんな奴でも、相棒は相棒だ。
コートの隠しポケットから、予備の銃を取り出した。
「こいつをやる。後は好きにしろ」
銃を奴の胸元に放ってやると、俺は迷いを断ち切った。路地の奥へ走り出す。足音が追ってくる。俺はリボルバーを手に、角を曲がる。
――そのとたん、奇妙な感覚に襲われた。
街路を覆う霧。点滅する街灯。薄暗い通り。
見知らぬ通りのはずなのに、どこか見覚えがあった。
猛烈に嫌な予感がした。
新作です。勢いで書いたものを勢いでアップします。
とはいえ、ネタだけはかなり前から抱えてました。というかですね。
この歌って、もしかしてこういう歌詞なのかしら、と想像してたんです。最初は歌詞が聴き取れなくて、いろいろ想像してるうちに、こんなお話になってました。
……こういうのもパクリになるんですかね。