歌鳥のブログ『Title-Back』

歌鳥の小説やら感想やらなにやらのブログです。よしなに。

Famous Blue Raincoat/Tori Amos

 なんかちょっと息苦しくなってきたので(いろんな意味で)、ブログ書きます。……毎度毎度、言い訳しないとブログ書けなくなってる気がしますが、まあそこはそれ。



 きっかけはフランツ・フェルディナンドのボーカル、アレックスのツイートでした。
 アレックスは時々「今夜はこんな気分」と、お気に入りの曲を紹介してくれます。先日の「こんな気分」がこのFamous Blue Raincoat、たぶんオリジナルのLeonard Cohenのバージョンだったと思います。
 いい曲だなー、でもいまひとつピンとこないな、他にもいろんな人が歌ってるんだ……と、そんな感じで関連動画を辿ってみました。で、↑の動画に行き着きました。

 なんなんだろう、これ。
 妙に心が揺さぶられました。映っているのはただの街の風景、しかも早回し。なんてことない映像のはずなのに、やたらと切なくなりました。
 雪に覆われた駐車場。歩道のない路肩を歩く人。そこだけ屋根のある場所で人を降ろして、また走り去る車。ビルの一室で揺らぐ灯り。
 本当に、なんてことない光景です。それが美しい曲と一緒になって、胸に突き刺さります。
 意味わかりません。なんなんだろう、これ。

 動揺のあまり、曲について調べるのを忘れてました。
 で、今日になって改めて調べてみたところ。

フェイマス・ブルー・レインコート~もう一人の自分に宛てた手紙

 こんな複雑な背景があったんですね。
 難解な歌詞ですが、胸に迫るものがあります。
 改めてオリジナルの方を聴くと、わざと感情を廃しているようにも思えますね。最初にピンと来なかったのは、そのせいかも。詩を書いた当人には、感情をこめて歌うのは難しいのかな……とか。

 冒頭の動画、どう見てもニューヨークではありませんし、もちろんギリシャでも砂漠でもなさそうです。
 つまり、歌とはまったく関係ない映像を持ってきたようで……。
 理由はわかりませんが、この組み合わせは天才的だと思います。こういうセンスを持ってる人、羨ましいです。


 で、さて。
 それだけなら問題ないんですが。

 ↑のサイトを見ると、ちょっと気になる単語がありますね。

 実は↑のサイトに辿り着く前に、英語版のウィキペディアを参照しました。そこで目にした“サイエントロジー”という単語に「へ?」となりました。え、なんでなんで?

 サイエントロジー。なにかと噂の新興宗教です。
 映画好きな人やSF好きな人には『バトルフィールド・アース』の関係でおなじみですね。映画だけなら失笑で済むんですが、ものが宗教、しかもかなりの規模を持っているだけあって、いろいろ厄介です。

 歌詞にそんなの出てきたかな、と思って改めて見てみると。どうやら“悟りを開く”の部分のようですね。go clearで“悟りを開く”の意味になるようです。
 ああ……知らなきゃよかったよ。せっかくの美しい曲なのに、そんな意味が込められていたとか。

 と、一度は落胆したんですが。
 さらに歌詞を読み返してみますと。2回も出てくる「悟りは開けたかい?」という問いかけは、もしかすると皮肉なのかな、と思えてきました。

“私の兄弟よ、殺人者よ”
“君がいなくて寂しいし、許しているんだろうと思う”
“私の前に立ちはだかってくれたことを嬉しく思ってる”

 この歌の語り手は、悟りを開こうとした「君」とは距離を置いたようです。
 その「君」が「私」と同一人物なのだとすると……つまり結局、悟りは開けなかったのでしょう。そのことを知りつつ、2回も質問してるわけです。『悟りは開けたのかい?」と。
 わーお。
 どんな経緯があったのか、どんな心境の変化があったのか。それは当人以外にはわからないでしょうが……無理に要約しちゃうとアレですね、
「認めたくないものだな、自分自身の、若さゆえの過ちというものを」
 ってことになるでしょうか。

 まあ誰が詩を書こうと、誰が歌おうと、美しい曲には違いありません。
「今夜はこんな気分」とこの曲を選んだアレックスは、どんな気分だったんでしょうか。でも多分、本気でこの曲みたいな気分だったとしたら、ツイートなんかやってらんないと思います。