歌鳥のブログ『Title-Back』

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【過去作品サルベージ】リバーシブル

   リバーシブル

 あれをやるのは今しかない、とテツヤは決心した。数時間後にはじまる県大会の決勝。勝てば甲子園、負ければ高校生活のすべてが水の泡だ。
 倉の南京錠を外し、なかに入る。暗くほこり臭い空気のなか、得体の知れないがらくたの山を通り抜け、奥へと進む。
 目的の場所でテツヤは立ち止まる。目の前には、不気味な彫刻で縁取られた、一枚の大きな鏡。こんな場所に昔から置かれているにしては、くもり一つない。
 鏡のまえに立ち、テツヤはおもむろにユニフォームを脱ぎはじめた。
 中学時代から四番のピッチャーとして注目されつづけてきたテツヤは、だからこそ他校に研究されつくしていた。練習はつねに外部のだれかに見られ、かといって練習しないわけにはいかない。結果、テツヤの長所も弱点も、すべての対戦相手に知られてしまっている。
 ここぞという試合ではかならず、弱点をつかれて敗北を喫してきた。だが今日はそうはいかない。はじめての地区予選決勝、負けるわけにはいかない。
 下着も脱いで全裸となったテツヤは、左手にグローブだけを持ち、鏡に向きなおる。鏡のなかのテツヤ、右手用のグローブを手にしたテツヤが見つめかえし、
「準備はいいか?」
 鏡の手前のテツヤはうなずく。
「いつでもいいぞ」
 ふたりのテツヤは歩み寄る。手を触れる瞬間、鏡の表面が波立つように見える。そのままふたりは互いのからだを突き抜けて……。
 また向かい合う。いま鏡の手前にいるテツヤは、右手用のグローブを手にしている。鏡のなかのテツヤは当然、左手用のグローブ。ふたりはかすかに微笑みあう。
 テツヤの家に昔からある大きな倉。いつごろ建てられたのか、どんなものが入っているのか、正確なところはテツヤの父も知らないようだった。テツヤがこの鏡を知ったのはつい最近。気晴らしに入った倉のなかで、テツヤはこの鏡を見つけた。
 この鏡のまえに立つと、虚像と会話ができる。実像と虚像はべつべつに動き、しゃべり、相手の話を聞くことができる。
 それだけじゃない。鏡を通って、テツヤは鏡のなかの世界に入ることができる。同時に、鏡のなかのテツヤがこっちの世界にやってくる。ふたりのテツヤはうりふたつ、まるっきり見分けがつかない。ただひとつ、左右の違いをのぞいては。
 鏡の向こうの世界も、こちらとそう違いはない。唯一の差は左右の概念。どちらの世界も右は右、左は左と呼んでいるが、その言葉が意味する方向は正反対になる。
 ふたりのテツヤはともに右利き、右投げの右打ち。だがふたりが入れ替わることで、世界のほうが反転している。他人から見れば、いまのテツヤは左投げの左打ちだ。
「じゃ、がんばれよ」「ああ、そっちもな」
 声をかけあい、テツヤは鏡に背を向け、ユニフォームを着る。左右が逆なので、ボタンをとめるのに苦労する。


 脱ぐときにも苦労する。が、今度はボタンが逆だから、だけではない。腕が思うように動かせないからだ。
 ようやく服を脱ぎ終え、鏡に向きなおる。鏡のなかのテツヤも、手前のテツヤも、おなじようにボロボロ。全身あざだらけだ。
「やっぱり、そっちもやられたか」
「ああ。みんな遠慮しないんだもんな」
 九回の裏まではほぼ完璧だった。(他人から見れば)右手用のグローブを手にしたテツヤに仲間は面食らい、相手チームはそれ以上に面食らった。テツヤの(他人から見れば)左腕が投げるボールは、敵の分析をまったくの無力にした。テツヤにしてみれば、いつもどおりに投げていただけなのだが。
 だが相手も強敵だった。途中で一点を奪われ、こちらの攻撃は完璧に押さえこまれた。0対1で迎えた九回裏、二死。ランナーが二塁に進んだところで、テツヤの打順が回ってきた。
 試合後、テツヤは仲間から袋叩きにされた。
「みんなが怒るのも無理ないよな」
「ああ。せっかくのヒットだったのに。まともに走ってれば間に合ったのにな」
 ふたりのテツヤは鏡ごしに顔を見合わせ、血のにじむ唇でかすかに笑った。
「まったく、間抜けだよな。三塁に向かって走るなんて」





 というわけで、こちらでも過去作品をちょこちょこと掲載していきます。
 せっかくなので、旧ブログには掲載していなかったものを。これ書いた当時は、野球なんてぜんぜん興味なかったんですけどね。
 在籍していた小説サークルで、さんざん叩いてもらった思い出があります。懐かしいなー。

 さて……Web拍手どうしよう。