歌鳥のブログ『Title-Back』

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【過去作品サルベージ】看板を背負って:side-B

  看板を背負って:side-B

 足元で手榴弾が破裂した。イェンは体を投げ出し、爆風に身を任せた。泥の海のおかげで大した衝撃もなく、ヘルメットのおかげで泥を飲まずに済んだ。
『大丈夫!?』
 フロウの気遣う声が、耳元のスピーカーから響く。イェンは障壁の陰へ這い進み、手足の骨が折れていないか確かめた。
「無事だよ」と、イェン。「泥まみれになっただけさ」
 己の姿を見下ろす。トリケラトプスのイメージカラー、緑を基調にしたユニフォームは、いまは黒と灰色のまだらに染まっている。
「迷彩になって好都合さ」
 フロウにはそう告げたものの、完全に泥まみれになるのは困る。背中が汚れると、都合が悪い。
 雨で泥が流れることをイェンは祈った。
 三日も続いている土砂降りが、フィールドを泥の海にしていた。その泥の上に座りこむ。尻に受ける感触は、奇妙に優しく暖かい。
 イェンはヘルメットの泥を手で拭い、銃の泥を振り払った。
「…フロウ、今どこだ?」
『振り向いて』
 言葉通りにイェンが振り返ると、遮蔽物の陰から一瞬、緑のグローブが現れて消えた。
『西ゲートからこっちには誰もいないわ。サバイバーも、あのサイコ野郎も――』
 フロウの声を遮り、スピーカーからけたたましい笑い声が発せられた。
『うるさい、ドミナ!…あのバカがどこにいるか、わたしにはわからないわ。聞いても答えないし。…ったく』
 メットに内蔵された通信機は、チームの三人を繋いでいる。当然ドミナにもフロウの苦言が聞こえたはずだが、彼はただ狂気じみた笑いを返すのみ。
『…スニーさえいてくれたら…』
「止せよ」とイェン。「俺に手榴弾を投げた奴が、この向こうにいるはずだ。援護するから来てくれ」
 ――スニアンはかつてのチームメイト。フロウとイェン、そしてスニアンの三人でチームを組んでいた。
 半年もの間、この顔ぶれは代わらなかった。これはちょっとした記録だ。
 先月の”ゲーム”でスニアンは死に、ついにメンバーが交代した。代わりに現れたのが、ドミナ。狂笑の主。サイコ野郎だ。
 東ゲートの方角から、リズミカルな銃声が響いた。ドミナの銃声ではない。今発砲しているのは、サバイバーの選手だ。単独で暴れまわるドミナに、サバイバーも混乱しているのかもしれない。
 フロウがイェンのもとに駆け寄ってきた。障壁に背を預け、束の間体を休める。
 フロウはイェンにもたれかかり、互いのヘルメットを接触させた。無線機を通して話すよりも、このほうが聴きとりやすい。
「その手榴弾男はどこなの?」
「わからん、だがそう遠くないはずだ」
「この土砂降りじゃ、索敵もできないわね。足音も聞こえないし」
「向こうも同じさ。それに今日はアウェイだしな」
「恵みの雨、か」呟くと、フロウは機関銃のカートリッジを交換した。
 ヘルメットを叩く雨音が、音を識別するフィルターの役割を果たしていた。味方からの無線は聞こえる。フィールド上の銃声も聞こえる。フィールドを取り巻く観客の声は聞こえない。頭上を行き交うヘリのローター音も聞こえない。
「向こうから回りこんでくれ。挟み撃ちにしよう」
 返答の代わりに、フロウはイェンの肩を拳で叩いた。二人同時に逆方向へ走る。次の障壁に身を潜めたところで立ち止まり、相棒の準備が整ったことを確認する。
「3,2,1…」
 ゼロ、のタイミングでイェンは障壁を飛び出した。
 素早く左右へ銃口を向ける。サバイバーの姿を認識しかけ、一瞬、トリガーにかけた指が緊張した。が、それは障壁に浮かんだ立体画像だった。
 硬質ガラス製の、円柱形の障壁。半透明の物体の中央で、赤い水着の女性が、気取った素振りで清涼飲料のボトルを傾けている。
 ボトルの中の液体を飲み干すと、美女は媚を売るような微笑を浮かべた。サバイバーのスポンサー企業、クーパー・ボトリングの広告だ。
 フロウは美女の足元へ走り、イェンもその隣の障壁へ走った。
「3,2,1…」
 障壁を飛び出すと、今度こそ赤のユニフォームが見つかった。予想した相棒との間ではなく、フロウのいる先ではあったが。フロウはすかさずトリガーを引き、イェンは相棒の元へ走った。
 機関銃の弾丸は軽く、ある程度まではユニフォームの緩衝材に防がれる。機関銃で敵を倒すには、かなりの数の弾丸を浴びせなければならない。
 フロウはそうした。サバイバーの選手は泥に倒れながらも、力を振り絞ってフロウに銃口を向けた。だがフロウは容赦なく弾丸を浴びせ続け、数秒後にはイェンも合流した。赤のユニフォームが動かなくなるまで、さほど時間はかからなかった。
「GOTCHA!」
 フロウの歓喜の声。
 客席の動揺の声は、雨音にかき消され半減している。ありがたい、とイェンは思った。死を悼む観客の声には未だに慣れない。フロウのように開き直ることはできなかった。
 ――フロウとの出会いは一年前。笑顔の似合う魅力的な女性ではあるが、その笑顔にはどこか陰があった。いつでも、心の底から笑ってはいなかった。
 事情を知ったのはその二ヶ月後だった。婚約者に逃げられ、やけになった時期にチームに志願したらしい。
 自分も似たようなものだな、とイェンは思った。自暴自棄で志願したのは、イェンもフロウと同様。愛する者に逃げられた、という点も同じだ。それが理由かもしれない。フロウとは妙に気が合った。恋愛感情は抱かなかったが、フロウは良き相棒となった。
 不意に銃声が響き、イェンとフロウは反射的に障壁の陰へ逃れた。だが銃声は遠く、明らかに二人を狙ったものではなかった。二人は同時に安堵の息を漏らした。
 無線機からは相変わらず、ドミナの狂気じみた哄笑が響いてくる。声の調子が、先刻よりも幾分上ずっている。負傷したからなのか、敵に傷を負わせて勝ち誇っているのか、イェンには判別できなかった。
 障壁の陰に潜んで、フロウは靴底の泥をこそげ落とし、イェンは空になった弾倉を交換した。
 ふと顔を上げると、頭上にヘリが近づいてきていた。イェンとフロウはさりげない素振りでヘリに背を向けた。ヘリの腹部にはドーム状の全方位カメラが取りつけられている。 ユニフォームの背に刻まれたスポンサーのロゴが中継に流れると、その分ボーナスが支払われるのだ。
 トリケラトプスのユニフォームに描かれているのは、ミニマム・ソフトウェア社のロゴマーク。背中が泥で汚れていないことをイェンは祈った。――もっとも、カメラがこちらに注目しているとは思えない。カメラクルーは恐らく、攻撃を受けたサバイバーの選手を映しに来たのだろう。
 サバイバーの選手は泥の中に、右肩を上にして横たわっている。ユニフォームの胸が微かに上下していたが、そう長くは続かないだろう。試合が終わるまで救急隊は来ない。その頃には呼吸も止まっているだろう。
 サバイバーの、赤いユニフォーム。背番号は3。相手選手の名は知らない。知っていたら戦えない。
「フロウ」イェンはヘルメットを相棒に押しつけた。
「残りは二人だ。ドミナの奴は当てにはならないが、おとりにはなる。サバイバーが奴に気を取られている隙に――」
『誰が当てにならないだとお!?』
 突然、無線の声が割り込んだ。続いてフィールドの反対側で、レーザー銃の発射音。
『…一人焼いてやったぜ。ざまあみろ、このドミナ様がまた一人、地獄へ送ってやったぜえ!』
 叫びの後には哄笑が続いた。耳を覆いたくなる狂喜の声。イェンは小さく悪態をついた。無線を切っておくべきだった。ドミナ。死にたがり。
”ゲーム”の選手には珍しくない。彼らは敵を恐れず、苦痛を恐れず、死を恐れない。スポンサーから支払われるボーナスに興味はなく、ただ戦うことにのみ快感を覚える。サイコ野郎。
 ――スニアンが死んだ翌週。フィットネスルームにチームオーナーが現れ、イェンとフロウを呼び寄せた。二人に資料を手渡す。ディミトリ・レイク。愛称ドミナ。
「…元パームツリー、か。よく移籍する気になったな、あのリッチなチームから」
「何よ、この経歴」
 フロウが眉を潜めた。彼女が開いている資料の頁には、レイクが渡り歩いた十を超えるチームの名称が列記されていた。
 イェンは微かな不安を覚えた。これほどチームになじまない選手も珍しい。
 笑顔の似合う青年のホロ写真も添付されていた。フロウはイェンの肩越しに写真を覗きこみ、
「なんだ、かわいいコじゃない」
「好みか?」
「惜しいわ。もう少し痩せてたらね」
 イェンが軽口を返そうとした瞬間、部屋の反対側で狂犬が吠えた。
「サイズ合わせなんざ必要ねえ。ユニフォームなんてのはな、チンポが隠れりゃそれでいいんだよ」
 オーナーが声をあげ、手招きした。筋肉の塊のような男が、こちらに向かって大股で歩いてきた。
「紹介しよう。彼が新人のディミトリ・レイクだ。ドミナ、この二人が君のチームメイトの――」
「ああん?」
 筋肉男は二人を睨みつけた。狂った瞳が上下に動き、二人を値踏みする。やがて開いた口から、大量の唾とせせら笑いが飛び出した。
「レーザーは俺によこせ」
 呆気に取られたイェンは、一言も返せなかった。フロウも同様だ。
「機関銃はくれてやるぜ。まあ、機関銃の出番なんざ来ねえがな。敵は一人残らず、俺のレーザーで焼いてやっからよ」
 狂気に満ちた瞳に見つめられながら、イェンは悟った。ホロ写真の好青年は、とっくの昔に息絶えていた。いま目の前にいるのは、全くの別人だ。
 ――ドミナと組む、今日が最初の”ゲーム”だ。宣言どおり、ドミナはレーザー銃を手にしている。各チームに一丁ずつしか与えられないレーザー銃。強力なレーザー光はユニフォームを貫通し、一撃で致命傷を与えられるが、一度発射するごとに充電し直さなければならない。不便な武器だ。
 障壁の足元で充電する間、レーザー担当の選手は無防備になる。機関銃を持つ選手が援護につくのが常識だ。だがドミナは”ゲーム”開始直後から単独で行動していた。敵陣深くに一人で突入し、レーザーを乱射していた。――結果、イェンとフロウから敵の注意が逸れた。作戦なんてものじゃない。偶然の結果だ。
「いいぞ、ドミナ」とイェン。「こっちでも一人倒した。サバイバーは残り一人だ。注意しろよ。この土砂降りじゃ、どこに潜んでいるか――」
『この俺様にお説教かよ、ああん?』
 嘲笑混じりの声が言葉を遮る。イェンは思わずフロウに目をやる。ヘルメットの中の表情は見えなかったが、フロウは呆れたようにかぶりを振っていた。
『この雨に気づかねえとでも思ってんのか、おっさん?――その通り、言われるまで気づかなかったぜ。はっ、このドミナ様にゃ雨なんざ関係ねえ、どんな天気だろうが――」
 レーザーの発射音が響き、同時に無線が途切れた。
 イェンは、またドミナが銃を乱射しているのだろうと思った。が、狂気を孕んだ笑いはいくら待っても起こらなかった。
『北ゲートの方よ』とフロウ。
『サバイバーは、いま充電中でしょうね』
「よし」
 イェンは先に立ち上がり、北へ走りだした。フロウがすぐ後に続いた。
 ブーツが泥を撥ね散らかし、障壁に飛び散った。広告の美女の胸元に、ホクロのような黒い点が現れた。親切な雨がそれをすぐに洗い流す。ヘルメットの内側からだと、広告の立体映像は雨で歪んで見える。
 ――自分たちの姿は、観客にはどう見えているのだろう。土砂降りの中、泥に足を取られつつ走る、アウェイのユニフォームを着た二人。防弾ガラスのフェンス越しに観客の姿は見えないが、敵意に満ちた視線は容易に想像できる。
 残る一人のサバイバーの姿も、客席からは見えているはずだ。障壁の陰で手榴弾を握り、レーザーの充電を待つ選手の姿が。観客はどんな気分で、自軍の選手を見守っているのだろう。生き残りのサバイバーは、彼らの視線を感じているのだろうか。
 泥の海の只中に、赤いユニフォームが浮いていた。ドミナが『焼いた』サバイバーの選手だ。まるで我が子のように、機関銃を両手で抱きしめている。イェンとフロウはその横を走り過ぎた。
 北ゲートの前で立ち止まる。当然のように、ゲートは硬く閉ざされている。鉄の扉が開くのは、一方のチーム全員が動けなくなった時だ。
 緑のユニフォームが、北ゲートのちょうど正面、扉上部の広告板に見下ろされるように倒れていた。広告の美女の微笑は、ドミナの死を楽しんでいるかのように見える。
 慎重に近づく。フロウは機関銃を構え、背後を警戒する。
 ドミナのユニフォームの背に、焼け焦げた穴が空いていた。穴は拳ほどの大きさで、ミニマム・ソフトウェア社のロゴのちょうど真下にあった。
 頭上にヘリのローター音。カメラクルーが泣いて喜ぶ光景だ。そしてもちろん、スポンサーにとっても。
 ドミナの手は銃身を硬く握り締めている。イェンは機関銃を肩にかけ、レーザー銃を拾いあげた。横向きになっていたドミナの体を転がし、うつ伏せにしてやる。こんな奴でもチームメイトだ。誠意は見せておきたい。
 立ちあがって、手近の障壁へ走った。泥の中のプラグを探し当て、レーザー銃の銃身に接続する。
 その様子をフロウが見守っていた。無線を通してさえ、彼女のいらだちが容易に感じられた。
『充電が終わるまで、のんびり待ってるつもり?』
「いや」イェンはフロウを振りかえった。
「サバイバーがどこに隠れているか、まるでわからない。最初から索敵をやり直すしかないだろう。一周して戻るころには、充電も終わってるさ」
『…最高ね』フロウは皮肉混じりに答えた。『敵の残りはたった一人なのに。さっさと終わらせて帰りたいわ。今夜は見たいテレビが――』
 銃声が轟き、言葉を中断させた。
 フロウはのけぞって倒れた。イェンは音の方角へ銃口を向けた。
 ――おかしい。銃声は機関銃のものだった。レーザーではない。
 イェンの銃口の先に、サバイバーの選手がいた。半身を起こし、力無く銃を――機関銃を構えている。ドミナが『焼いた』はずの選手だ。まだ息が残っていたのだ。
 サバイバーが再びトリガーを引く前に、イェンの機関銃が火を吹いた。赤いユニフォームがはじけ跳び、障壁に叩きつけられた。
「フロウ!」
 機関銃を放り出し、傍らに倒れているフロウに駆け寄った。――まだ”ゲーム”は続いている。命取りにもなり得る行動だったが、イェンは危険など考えもしなかった。相棒のこと以外、何も考えていなかった。
 相棒を抱き上げる。フロウの体は激しく痙攣している。イェンの緑のグローブが、瞬時に血に染まった。
 ユニフォームの緩衝材は、正面と背後からの衝撃を分散してくれるが、真横からの衝撃には弱い。弾はフロウの脇腹から侵入し、体内で暴れ回ったらしかった。ユニフォームの破れ目から溢れる血の量に、イェンは恐怖を覚えた。
「…フロウ」
『…アリス…』
 ――それは単なるうわ言で、イェンの呼びかけに応じたものではなかった。はっきりとした意識もないだろう。フロウは力ない声で、ひとつの単語をくりかえしつぶやいた。
『アリス…ああ、アリス…』
 そのつぶやきもすぐに途絶え、やがては痙攣もなくなった。
 フロウの体をうつ伏せに横たえ、イェンは立ち上がった。ユニフォームの血を、慈悲深い雨が洗い流した。
 泥の中から銃を拾いあげ、走り出す。この場所には長居しすぎた。とにかく移動しなければ。
 しばらく走ってから、レーザー銃を置いてきてしまったことに気づいた。まあいい、どうせまだ充電は終わっていない。機関銃にこびりついた泥をグローブで拭う。
 もはや味方はイェン一人。サバイバーの生き残りも一人。条件は五分。どちらか一人が生き残り、もう一方は死ぬ。
 死ぬのが自分ではないことを、イェンは祈った。もっとも、イェンは神の存在など、とっくに信じるのをやめていたが。
 ――アリス。息絶える直前、フロウが呼んだ名前。
 婚約者の名を聞いたことはなかった。誰かがそのことに触れると、フロウはいつでも話題を変えた。相手が女性だったなど、イェンが知る筈もなかった。
 アリスという名の女性が、今日の”ゲーム”の中継を見ていてくれるよう、イェンは祈った。
 ――自分はどうなのだろう。イェン自身も最後には、家族の名を呼ぶのだろうか。妻と娘の名、彼を捨てた者の名を。
 二人が家を出てから、もうすぐ二年になる。それなのに、イェンは戦っている。報酬のほぼ全額を、二人のもとへ送金している。
 ――視界の隅でなにかが動いた。
 イェンはすかさず立ち止まった。迷わず銃を向け、トリガーを引いた。
 発射の衝撃に銃身が踊る。イェンは腕に力を込めた。雨が視界を妨げる。かすかに動く赤い物体に向け、イェンはトリガーを引き続けた。
 やがて銃声が止み、銃が踊るのを止めた。カートリッジが空になったのだ。
 イェンはゆっくりと銃を下ろした。力無い足取りで泥を踏みしめ、たった今破壊した物体へ歩み寄る。
 それは障壁だった。障壁に浮かんだ広告の美女を、サバイバーの選手と見間違えたのだ。
 銃弾を浴びた硬質ガラスは、投影機もろともに粉々に砕けていた。もはや、美女の姿は何処にもない。
 呆然と立ちすくむイェンの胸を、レーザー光が貫いた。
 己の愚かさに腹を立てながら、イェンは泥の中に倒れた。…胸が熱い。呼吸ができない。降り落ちる雨の中、カメラクルーのヘリが近づくのが見えた。ヘリのローター音は聞こえない。雨の音しか聞こえない。
 …畜生、あお向けじゃないか。
 この体勢では死にたくない。腕に力を込め、うつ伏せになろうとした。だが、力が入らない。腕を持ち上げるのがやっとだ。
 サバイバーの選手が、ゆっくりと近づいてきた。赤いユニフォームが、イェンの顔をのぞきこむ。ヘルメットの防弾ガラスを通して、黄色い顔がかすかに見えた。
 サバイバーの選手はイェンを抱き起こし、体をうつ伏せにして横たえた。
 視界が泥に満たされ、イェンは心の底から安堵した。――イェンと同じ中国系か、それとも日本人か。今となっては知る由もないが、イェンの心はサバイバーへの感謝で満ち溢れていた。
 うつ伏せの状態で、背中のスポンサー名がカメラに映る状態で倒れれば、死亡時に支払われるボーナスが倍額になる。イェンの妻と娘へ、途方もない大金が送られるのだ。
 背が泥で汚れていないことを、イェンは祈った。


 過去作です。同じテーマで2本書いたうちの片方。もう一方もいつかそのうちアップします。
 ……あの、この“広告背負って戦う”という主題、後に『タイガー&バニー』でやられちゃったんですが、これ書いたのもっとずっと前ですので。パクったわけじゃないんですよ。いやほんとに。