木曜の男
今さっきPCが落ちまして。他のことするの怖いので、ブログ書きます。
初版が1960年だそうですよ。なんともはや。
……推理小説?
読んだところ、とても推理小説だとは思えませんでした。最初に読んだ時にはわけがわからず、再読してもやっぱりわけがわかりませんでした。ひとことで言えば「変な話」です。
無政府主義者たちの集う秘密結社。個性的な七人の幹部は、それぞれが曜日の名で呼ばれ、なかでも指導者である“日曜”の個性は強烈を極めます。結社に潜りこんだ1人の男により、幹部たちの真の顔が次々と明かになってゆく中、“日曜”がとった行動は……。
とまあ、まともに語れば推理小説、というかスパイ小説にでもなりそうな感じですが、そうならないのがこの本です。読んでる間、頭の中は「は?」「は?」の連続。なんでそーなる、という疑問に答えてくれるわけもなく、よくわからないうちに物語はハッピーエンドを迎えます。
まあ、謎解きらしいものもあるにはあるんですが……。最大の謎である“日曜”の正体については、途中で見当ついちゃうんですよね。というか怪しいの1人しかいないし。
チェスタトンらしいなーと思ったのは、全編にパラドックスがちりばめられている点です。「いかにも無政府主義者らしく装った無政府主義者」とか、「悪人に追われる警官」とか、「警官を罵倒した結果、警官になった男」とか、その他もろもろ。
なかでも一番大きなパラドックスが「味方が増えるほどピンチになる」という、物語全体を通した矛盾です。この矛盾が物語そのもの、と言ってもよさそう。
変な話です。変な話ですが、パラドックス好きな私はこの本が大好きです。
で、以下余談。
なにを隠そう、私は無政府主義者です。
「政治家と名のつく人は信用できない」「政府の言うこと真に受けてる人の気が知れない」と、常日頃思ってる程度に無政府主義者です。「政治なんて誰がやっても一緒だろ」「しがらみのない人間なんていないんだから、清廉潔白な政治なんてできっこない」と、そう確信しているくらいに無政府主義者です。
で、この本で語られている“無政府主義者”というのは、イコール“爆弾を投げる人”ということのようなのですが……。
そういう認識が、ちょっと悲しいなーと思ったのでした。私は爆弾投げたりしませんし。単純に「ネット投票が完璧に機能すれば、政府いらないよね」と、そう考えてるだけです。
この世界観が理想郷なんですよねー。
私の生きている間に理想郷は訪れないでしょうが、せめて国民投票くらいは実現してほしいものです。いや、これも無理かな……。