歌鳥のブログ『Title-Back』

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【断片】【ここにいない由佳里】おーいえー。

   おーいえー。

 中一の冬、期末テスト間近のある朝のこと。
「おっはよー」
 由佳里は教室に入るとすぐ、私と舞の席にやってきた。
「ねーねー、英語の宿題やった?」
「やったよ。もちろん」と私。
「いえーす」と舞。
「ムズくなかった? ムズいよね、英語」
 由佳里は私の机にうつ伏せになって、ぐでーっと脱力した。猫みたいだ。
「そう? 普通だと思うけど」
「普通じゃないって。二学期入ってから急にムズくなったって。舞はどう?」
「いえーすいえーす。べりー……ムズい」と舞。
 中学に入ると、私たちの傾向みたいなものがはっきりしてきた。私はどうやら文系らしく、英語や国語の成績がよかった。舞は数学と理科、それにもちろん美術が得意。由佳里はどの教科も平均してダメで、ただし体育だけはバツグン。
「テストヤバいよー。どうしよ、今度こそ赤点なっちゃうよー」
 由佳里は頭をかかえて呻いてから、ずるずるずり下がって、机の角にアゴを引っかけるようにして止まった。
「藍音はいいよねー。特別勉強しなくても、英語得意でさー」
「いえー」
「勉強してないわけじゃないって。由佳里みたいに運動出来る子の方が、私にはうらやましい」
「おーいえー」
「人それぞれってことかー。でもさ、バスケ得意だからって、いい学校行けるわけじゃないし、いい会社に入れるわけでもないよ?」
「スポーツなんとかってあるじゃない。試験受けなくても、大会で優勝できるような子なら、いい学校行けるんじゃない?」
「いえー」
 ――舞の言動がおかしいことに、由佳里も私もようやく気づいた。
「ねえ、舞」
「いえす?」
「なんで今日、そんなに外人なわけ?」
 舞はきょとんとして私を見た。どう答えようか、迷っているみたいだった。
「うぇーる……」
「日本語でいいから」
「あのね。昨日ね」
 口下手の舞が、身振り手振りを交えて説明した。その身振りがなにを意味するのか、私にはよくわからなかったけど。
「居間のこたつで宿題してたのね。お兄ちゃんがテレビつけっぱにしててね、そしたらタイミングよく『ネイティブのように話すには』みたいな番組やっててね」
「あ、いいなーそれ。あたしも知りたい。どうすんのどうすんの?」
「『英語で考えるようにしましょう』って言ってたんだよ」
「え」
 笑顔で食いついていた由佳里が、それを聞いて表情を曇らせた。
 それは……どうなんだろう。
 理屈はわからないこともない。私たちが日本語で考えてるみたいに、ネイティブの人は当然、頭の中でも英語を使っているわけだ。私たちがスムーズに英語で話せるようになるには、私たちも英語で考えればいい。
 理屈はわかる。けど。
「それ、超ムズくない?」
「超ムズかった」舞がこくこく頷いた。
「部屋に帰ってから、ちょっと試してみたのね。そしたら頭の中が『いえす』『のー』『おっけー』『ぐっど』『おーのー』『おーいえー』とか、そんな感じになっちゃったんだよね」
「きゃははははっ」由佳里が笑いだした。
「わかるーそれ超わかる! とっさに出てくる英語って、そんなもんだよねー」
「確かにそうかも」
 私も頷いた。私だって『英語で好きなことを考えなさい』と言われたら、頭の中はそれに近い状態になるだろう。『英語で考える』なんて、元々英語ができてる人じゃないと無理だ。
「だけど舞、さっきみたいな受け答え、どうかと思う」
「いえー?」
「そーだよ舞。『おっけー』『おーいえー』ばっかり言ってたらさ、なんか外人の出てるエロ動画みたいじゃん」
 由佳里がそう言ったとたん、教室の空気が凍った。
 ホームルームの直前で、教室には生徒がいっぱいいた。その全員が、と言うと大げさだけど、少なくとも私たちのまわりにいた数人は、目を丸くして由佳里を見つめていた。
「……」
 私の机の横でしゃがんでいた由佳里は、そのままの姿勢でペンギンみたいにもぞもぞ動いて、舞の後ろまで移動した。
「ちょっと、由佳里」
「……」
「由佳里、ねえ。いま、なんて言ったわけ?」
「いませーん。梶谷由佳里はここにはいませーん」
 裏声でそう言いながら、由佳里は小柄な舞の背中に、必死に隠れようとしている。表情は見えなかったけど、耳が真っ赤だった。
「ふざけてないで、ちゃんと答えて。いまなんて言ったの?」
「あたし舞ちゃん! 由佳里じゃないよ!」
「由佳里、それ腹話術になってないから。……舞も、口ぱくぱくしなくっていいから」
 そこで先生が入ってきて、由佳里はそそくさと席に戻った。休み時間は移動教室があったりして慌ただしく、話の続きは昼休みまで持ち越された。
「だって、普通じゃん。そんなの」
 そしてその頃には、由佳里はすっかり開き直っていた。
「自分の部屋にパソコンあったら、そりゃエッチな動画くらい見るって。当たり前じゃん」
「そんなこと知らないよ」
 私の部屋にパソコンはない。
「私はよく知らないけど、そういうのって、子供は見れないようになってるんじゃないの? なんとかコントロールとかって、授業でやったでしょ」
「あたしもよく知らないけど、見れるのもあるんだよ。外国のページとか。なんか普通にカチカチしてたら、普通に見れちゃって」
「だとしても、普通見ないでしょ。わざわざその……エッチなページ見るってことは、自分からクリックして見に行ったってことでしょ?」
 顔が熱くなってきた。由佳里の顔は、さっきからほんのり紅くなってる。
「見たくなるんだって。藍音だって、部屋で一人でパソコンやってて、そういうページに行き当たったら、絶対見たくなるね」
「ならないってば」
「なるなる」と、舞が口を挟んだ。
「舞!?」と、私。
「ほらあ!」と、由佳里。勝ち誇ったみたいに胸を張って。
「そういうリンクあったら、ついクリックしちゃう。まるで運命に導かれるみたいに、カーソルがついつい、そっちの方へそっちの方へと」
 マウスをいじる真似をしながら、舞が真顔で言う。
「運命とか、そんな大げさなこと言わないでいいから」
 私は顔の熱を冷まそうと、手のひらでぱたぱた扇いだ。舞も見たことあったのか、と軽いショック。
「……それで? それってどんな風なの?」
「それって?」
「とぼけないで。その……エッチな動画って、どんな感じだった?」
「あー、あれねぇ」
 由佳里はあいまいな笑みを浮かべて、視線をあっちこっちに漂わせた。
「あれはねえ……ありゃ、子供の見るもんじゃないよ」
「それはそうでしょ。さっきからそう言ってるじゃない」
「違くて。あれって、なんかさ……んー、どう言えばいいんだろ」
「エグい」
「そう! それだよ舞!」
 ぽんと手を叩いて、由佳里は大げさに頷く。
「エグいんだよ、超エグ。もうエグりまくりって感じ」
「由佳里、言葉の意味わかってないでしょ」
「あたしドン引いたもん。自分で見といて変だけどさ、マジで見なきゃよかったーって思った。ほら、外国のやつとかだとモザイクないじゃん? もうモロなんだよね~」
「エグい」
 同じ言葉をくりかえして、こくこく頷く舞。
「ふうん」
 私にはぴんとこなかった。ただ『エグい』とだけ言われても、イメージが伝わらない。
 それに、私だけ見たことない、というのも気分が悪い。
「由佳里、今日部活ある?」
「へっ? えっと、テスト前だから部活は休みだけど、なんで?」
「今日、由佳里の家行くから」
 その日の放課後、私たちは由佳里の家のパソコンで、そのエグい動画を見た。
 ――それは確かに『エグい』としか表現のしようがないものだった。
 そして、確かに『いえす』『ぐっど』『おーいえー』を連発していた。
「うわあ……」
 私は絶句してしまい、昼休みにしたのと同じように、手のひらで顔をぱたぱた扇いだ。
「なんだか……ショック。想像してたのとぜんぜん違った」
「だよねー。漫画とかだと、もっと綺麗な感じだもんね」
「おーいえー」
「私たちも、大人になったらこういうことするのかな……。想像できない」
「おーいえー」
「舞、それやめて。思い出すから」
「にゃははははっ」
 由佳里がくすくす笑って、舞の背中にしがみついた。
「舞は、男とそんなことしなくていいからね。あたしがかわいがってあげるんだから」
「おーのー」
 抱きつかれた舞がジタバタもがく。
「んーでもさ、気をつけた方がいいかもね」
「なにが?」
「さっき見たのが頭にこびりついちゃうとさ、変な癖ついちゃって、あたしらが将来エッチする時に『ぐっど』とか『ないす』とか、『おーいえー』とか言っちゃうかも」
「それは……怖いね」
「……すけありー」
 実際、その夜はその動画が瞼にちらついて、あまり眠れなかった。
 舞はそれからも時々“英語で考える”を実践しているらしく、唐突に『おーのー』とか『おーいえー』などと口走ることがある。私と由佳里は、それに呆れてみせたり、適当に付きあったりしている。
 今のところ、癖にはなっていない。


 前回投稿した『ゆかり石』と同じく、これも断片です。そのうち書くつもりの長編の一部を、試しに書いてみました。
 本編もこんな感じで、他愛もないおしゃべりとか、ちょっとしたエピソードがいくつか続く予定です。たぶんそのうち書きます。たぶん……。

 今日もう1本書いたので、そちらも投稿しときます。