歌鳥のブログ『Title-Back』

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【過去作品サルベージ】動物園

   動物園

 娘は目にみえて緊張していた。助手席のチャイルドシートにちょこんとおさまった娘は、膝のうえで両手を組み、視線をその手に落としている。
「どうした?」
 わたしが声をかけると、娘はびくりとして顔をあげた。あわてて首を横にふる。わたしはくすりと笑った。
「そんなに緊張することはないよ。ただ動物を見にいくだけさ」
 娘はこくん、とうなずいて、また目線を落とした。
 郊外へ向かう道は混雑していた。休日なので仕方ない。カーナビに交通情報を訊ねたが、どの道を通っても大差ないようだ。ならば通いなれた道のほうがいい。わたしはこのままこの道を進むことに決めた。
”国立動物園まで○○Km”
 大きな看板が頭上を通りすぎてゆく。だが娘はまるで気づかない。顔を伏せたまま、手を膝のうえで固く組んだまま。
「もうすこしで着くよ」
 そう伝えると、娘の肩がまたびくりと震えた。先刻よりもさらに緊張しているようだ。――無理もない。動物園へ行くのは、娘は今日が初めてなのだ。
 私は何度も訪れている。五年前から毎年、おなじ日に動物園へ行くことにしている。去年までは一人で訪問していた。今年は娘と一緒だ。娘は今年の春、小学校に入学した。そろそろ、動物たちを見学してもいい年齢だ。
 動物園を訪れることの利点は計りしれない。子供の教育にこれほど役立つ施設はないと、わたしはそう考えている。おそらくはほかの親たちも同意見だろう。動物園の訪問客は年々増えているそうだから。
 現に、この道も混雑している。動物園へ向かう道は、家族づれの車でいっぱいだった。

 ようやくたどりついた駐車場は、すでに車で埋まっていた。やっとのことで空きを見つけて車を降りたときには、開園時間を一時間も過ぎてしまっていた。
「さあ、行こう」
 娘に手をさしのべる。娘は強ばる手でわたしの手を握った。不安たっぷりの目で、あたりを見まわす。
 何組もの親子づれが、駐車場を横切ってゲートへむかっている。子供たちの表情は様々だ。娘のように緊張した子もいれば、慣れた様子ではしゃぎまわる子もいる。興奮を押さえきれずに走りだす子も。だが親たちは、どれも同じく無表情。わたしと同じく、感情を押し殺して表には出さずにいる。
 父親と母親の手に、ぶらさがるようにして歩く子供が目にとまった。――わたしの胸は痛んだ。娘には母の記憶がないのだ。
 娘の手をひいて、わたしたちも流れに加わった。
 ゲートへ通じる小道の時点で、すでに行列ができていた。最後尾に加わって正面を向くと、そびえ立つ灰色の壁が見える。無味乾燥なコンクリートの塀が、動物園の敷地だ。
 行列のなかの娘には、巨大な塀の姿は見えない。人ごみに埋もれ、落ちつかなげにきょろきょろと視線を動かしている。右手はわたしの左手を握って放さない。
 のろのろと行列は進む。まわりの子供たちは焦れて騒ぎはじめている。それに対応する大人たちも焦れてきたころ、ようやくゲートが見えてきた。
 動物園の外観が、娘の目にも届いたようだ。娘が息を呑む気配が、ちいさな手を通じて伝わってきた。
 灰色の壁で仕切られた広大な空間、それが動物園だ。はるかに高い塀の上には有刺鉄線、点在する監視台には飼育係の姿も見える。凶暴な動物を外へ出さないための設備だが、見るものを威圧する効果も十分にある。
 幼い娘にとって、それは恐怖の光景そのものだったようだ。わたしの手のなかで、娘の手が震えている。安心させるように、わたしは握る手の力を強めた。娘の手が握りかえしてきた。
 巨大な壁の正面にぽっかり開いている、唯一の出入口であるゲート。行列が遅々として進まないのは、ゲートの手前で厳重なチェックが行われているためだ。見物客の列はじりじりと進み、ようやくわたしたちの番がやってきた。
 飛行場のそれと同じような、保安用のスキャナーをくぐる。鈴しげなチャイムが鳴って、わたしは列からはずされた。制服姿の飼育係が、棒状の金属探知器でわたしの身体をさぐる。ポケットからキーホルダーと財布が取り出され、探知器はおとなしくなった。
 なかには別室に通され、さらに厳重な検査を受ける客もいる。それは仕方ない。動物園の運営には必要な措置なのだ。さんざん待たされて苛立っているはずの客も、不平ひとつ言わずに飼育係に従っている。数年前に一度、わたしも別室に通され、下着まで脱いで検査を受けた。今年は運のいいほうだ。
 わたしが検査を受けるのを、娘は泣きだしそうな顔で待っていた。検査を終えて歩み寄ると、娘はわたしの腕にしがみついた。
 なかば娘をひきずるような格好で、わたしは先へ進んだ。入場券を買い、ゲートをくぐった。

 一歩足を踏み入れたとたん、娘はわたしの手を放して耳をふさいだ。
 工事現場のような騒々しさだ。笑い、泣き、さけび、喚声をあげる子供たち。その子供を呼びとめようとして果たせずにいる大人たち。それらの声にまじって、ときおり動物たちの鳴き声がひびく。
 娘を脅えさせたのは、その鳴き声のようだった。耳だけではない、目もきっちり閉じている。わたしは娘の肩を抱いて、耳元に口をよせた。
「怖がらなくていい、大丈夫だよ」
 わたしの声が聞こえたかどうかはわからない。だが娘は手をおろし、おそるおそる目を開いた。ゆっくりと頭をめぐらし、伏せ目がちにあたりを見まわす。
 娘の目には異様に映ったことだろう。周囲の喧燥とはあまりに異質な、殺風景な施設。正面と左右にアスファルトの通路が伸び、ところどころに動物の入った檻が点在している。檻は灰色、通路も塀も灰色。わたしたち見物客の姿がなければ、ここはグレイ一色の空間。客が休憩するためのベンチや水飲み場はあるが、売店や食堂の類は存在しない。ここは遊戯施設ではなく、教育のための場なのだ。
 ゲート手前の行列で焦れていた子供たちは、さっそく手近の檻に群がっている。この場所からでは檻の中までは見えない。娘にとっては、それが幸いかもしれない。凶暴な動物の姿が目に入ったら、なおさら脅えることだろう。
 目的はこの檻ではない。それに、ここは混雑しすぎている。わたしたちは移動することにした。

 いくつかの檻を通りすぎる。娘の足にあわせて、わたしはゆっくりと歩く。
 周囲は変わらず騒がしい。動物を見てはしゃぐ子供、見えないと怒りだす子供、怖がって泣きだす子供。我が子を大人しくさせようと、親も大声を出さなければならない。
 娘は脅えている。地面に目を落し、決して顔をあげようとはしない。ときおり喧燥にまじって聞こえるバシッ、バシッという耳障りな音に、驚いて肩を震わせる。
 音が連続して聞こえたとき、娘がわたしの手をひいた。わたしは娘の口元に耳をよせた。
「あの音、なに?」
「ああ、あれは電撃棒の音だよ」
「電撃棒って、なに?」
「電気の流れる棒だよ。それで動物をつつくんだ」
「つついて、どうするの?」
「痛めつけるんだよ、動物を」
 わたしの説明に、娘は納得した様子はない。顔をあげて檻のほうをちらりと見たが、鋭く響いた音にすぐ目を伏せてしまった。
 しばらく歩くと、見物客の姿も減ってきた。子供たちも落ちついて、檻のなかの動物を興味深げに見物している。
「見てみるかい?」
 檻のひとつを指さす。娘はうつむいたまま、こくんと小さくうなずいた。――いずれは反抗期も来るのだろうが、いまのところはまだ、娘はわたしの言葉に逆らうことはない。娘の手をひいて、檻に歩みよった。
 分厚いコンクリート製の、小さな建物。面積は八畳ほどだろうか。三方は灰色の壁、正面の一面のみが開いて、太い鉄棒の柵で見物客と仕切られている。凶暴な動物の爪が客に届かぬよう、柵は二重になっていた。
 一方、客の操る電撃棒は楽に動物を捉えられる。かなり数が減ったとはいえ、檻の前には十数人ほどの見物客が並んでいた。うち幾人かは――たいていは子供だ――電撃棒を手にしている。
 電撃棒には柵の隙間よりも大きな鍔があり、檻のなかの動物に奪われることは決してない。柄からは鎖が伸びて檻につながっているので、檻から持ち出すこともできない。動物を痛めつけることのみを目的とした、極めて安全な器具だ。手元のスイッチを入れると、先端から高圧電流が流れる。
 この檻でも、数人の子供たちが電撃棒を操っている。バシッ、バシッと鋭い音が響き、檻のなかに閃光が走る。ときおり動物の呻くのも聞こえるが、見物客が邪魔になって姿は見えない。
 わたしに見えないのだから、ちいさな娘にはなおさらの事だ。いまだ脅えの表情は残っているものの、好奇心もあるのだろう。視界を遮る見物客の背中をきょろきょろと見くらべている。
「”ニンゲンモドキ”、だってさ」
 わたしはプラスチック製のプレートに書かれた動物の名前を読んでやった。プレートは他の情報、動物の特徴や経歴についても述べているのだが、詳しく読み聞かせてやるには、ここは騒々しすぎる。
「ちがう檻にいこうか」
 娘がこっくりうなずいて、わたしたちは檻の前を離れた。
 さらにいくつかの檻を過ぎて、ようやく空いている檻に行きついた。檻の前には一組の家族と、若い男女がいるだけだ。――二人連れの姿を目にして、わたしは眉をひそめた。動物園は恋人どうしで来るような場所ではない。
「おいで」娘の手をひいて、檻の前に立つ。「ほら、見てごらん」
 指差したが、娘はうつむいたまま見ようとはしない。
「ほら」更にうながす。「怖くないよ。檻に入ってるんだから」
 何度もなだめすかしたあげく、やっと娘は顔をあげた。落ちつかない、不安げな視線を、奥の暗がりに向ける。
 一匹の動物がうずくまっていた。垢にまみれた汚らわしい身体を丸めて、檻の隅に横たわっている。伸ばし放題の体毛の奥から、焦点の定まらない目が無気味に光り、どこか虚空を凝視していた。
「”レイケツオニ”」娘にプレートの文字を読んでやる。「”2032年、東京都にて捕獲。2026年から2030年にかけて、判明しただけでも14人を殺害していた。犠牲者のほとんどは15歳未満の少年。いずれも生前、もしくは死亡後に性的暴行を受けていた。習性は極めて異常、特徴は……”」
 その解説を娘がどれほど理解できているか、わたしには知りようもない。――だが、それでもいい。目のまえにいるこの動物が、どれほど狂暴で凶悪な存在なのか。それだけ理解してくれれば、それでいい。
 娘は無言で見つめている。その視線の先には、唾棄すべき生物がうずくまっている。虚空を睨み、言葉にならない唸りをくりかえしている。

 ――その法律が制定されて、もう五年になる。
 年々増加する凶悪犯罪に、当時の警察と政府は頭をかかえていた。愚かな政治家が票集めのために死刑を廃止し、犯罪に歯止めが効かなくなったのだ。
 警官は駆けずりまわり、裁判所は終夜営業。刑務所は犯罪者で溢れた。比較的罪の軽い犯罪者は釈放せざるをえず、釈放された連中は街で犯罪を繰り返した。市民は恐怖に脅え、怒りに震えた。
 とりわけ怒り狂ったのは、犯罪によって家族を亡くした人々だった。愛する者の命を奪った凶悪犯が、塀の中とはいえまだ生きている。しかも、彼/彼女を養う費用は税金から出ているのだ。犠牲者の家族が納得するはずはなかった。
 市民の声に後押しされる形で、政府は新たな法律を制定した。かつての死刑制度に代わる――いや、より効果的な制度といえるだろう。
 一定以上の重い罪を犯し、更正の見込みがないと判断された被告人は、裁判所命令で人権を剥奪される。戸籍を抹消された時点で、犯罪者は被告人でも罪人でもない。もはや人間ですらない。動物だ。
 むやみに動物の命を奪うことはモラルに反する。動物たちは舌を裂かれた後――動物に言葉は必要ない――檻に入れられ、そこで一生を過ごすことになる。檻は一般に公開され、子供たちの教育の場として活用される。人の道を外れた者がどうなるか、実地に教えてやることができるのだ。
 電撃棒の出現もまた、檻とおなじく必然的なものだった。当初、見物客は檻に石を投げ入れていた。だが、石は投げ返せる。舌とおなじく手足を使えないようにするのは問題があり(餌をやるときに面倒だ)、飼育係はべつの方法を考え出す必要に迫られた。
 電撃棒はすべての動物園で採用された。すべての檻に複数の電撃棒が備えられ、見物客は好きなだけ、動物を痛めつけることができた。残虐な行為ではない。罪深き動物に罰を与え、自らの正義感を満足させることで、社会の一員としての地位を再認識する、重要な行為だ。
 そしてもちろん、被害者の家族には絶好の機会となる――報復の。

 となりの若い恋人たちが、電撃棒を操りながら微笑みあっている。ゲームでもやっているつもりなのか、閃光が動物の顔や急所に触れるたび、二人は喚声をあげる。
 気に障る光景だ。動物園は教育の場であって、遊技場ではないのだ。二人の笑い声と動物の苦悶の声に背をむけ、わたしと娘はふたたび歩きだした。
 いくつもの檻を通りすぎる。”ヒトクイオニ”、”ヒトデナシ”、”ミサカイナシ”……。ほとんどは雄だが、なかには雌の動物もいる。当初は奇妙に感じたものだが、もはや見慣れた光景だ。
 娘もいくらか慣れてきたらしい。もう電撃棒の音に脅えることもなく、檻のまえを通るたびに、足どりをゆるめてじっと見つめる。見物客に背を向ける動物。暴れまわり、わめきちらす動物。狭い檻のなかで、行ったり来たりをくりかえす動物……。
 娘の目に、動物たちはどのように映っているのだろうか。
 かつての日本には”市中引き回し”という刑罰があった。縛りあげられた罪人が、市民のまえにその哀れな姿を晒すのだ。中世ヨーロッパにも”さらし台”という、よく似たシステムがあった。手枷首枷に繋がれた罪人を、民衆が嘲笑う。
 民衆は罪の愚かさを知り、罰の恐ろしさに震える。――おそらくは娘も、おなじことを感じているのだろう。おなじ教えを、娘にも与えることができるだろう。
 動物園ができて五年。まだ目に見えた効果はでていないが、犯罪は徐々にだが減少傾向にあるらしい。娘の代にはさらに減ることだろう。それが当然だ。
 そして――わたしは娘に、もうひとつの教えを与えた。
 目的の檻のまえで、わたしたちは足をとめた。ここはゲートから遠く離れた場所。もはや人影もまばらで、檻のまえに見物客の姿はない。制服姿の飼育係が目につく程度だ。
 檻に近づいた。プラスチック製のプレートには”ウジムシ”とある。
”2029年、神奈川県にて捕獲。繁華街にて無差別に六人の命を奪い、その場で捕獲された……。”
 その六人の一人が、わたしの妻だ。毎年、妻の命日に、わたしはこの動物園を訪れる。この檻のまえに立ち、この動物とむかい合う。
 動物は脅えているように見えた。わたしの顔を覚えているのか。いや、そんなはずはない。この動物に、そんな知能があるはずがない。
 わたしは電撃棒を手にとった。
 電光がひらめき、苦悶の声があがった。動物は奥へ逃がれようとしたが、わたしは巧みに電撃棒を操り、着実に、効果的に苦痛を与えた。
「おまえもやれ」
 ふりむいて、娘に声をかけた。娘は呆然と目を見開いて、わたしと檻のなかの動物を交互に見つめている。わたしは一方の手をのばして娘の手をとると、その手をもう一本の電撃棒へ導いた。
「使いかたはわかるだろう。簡単だ。さあ、やれ」
 電撃棒の柄を握ったまま、娘は放心して動かない。
「やるんだ」
 わたしの声に気圧され、娘はついに決心したようだ。おぼつかない両手で柄を動かし、指をスイッチにかけ、ぎゅっと握った。

 ゲートへむかう足は軽かった。
 わたしは満足感にひたっていた。動物園を出るときはいつもだが、今年は特にそうだ。娘を連れてきたことで、大きな満足を得ることができた。
 まったく、すばらしく教育的な施設だ。子供たちに犯罪の愚かさ、恐ろしさを伝えられるだけではない。犠牲者やその家族に、心の平安まで与えてくれる。
 すばらしい施設。すばらしい制度だ。心の底から、そう思わずにはいられなかった。
 飼育係の警備するゲートを抜け、駐車場に着いた。娘のために車のドアをあけてやりながら、わたしはなにげなく訊ねた。
「楽しかったかい?」
「うんっ!」
 娘は力いっぱいうなずいた。
「すっごく楽しかった! また遊びに来たいな。いいでしょ?」
 その言葉と、輝くばかりの笑顔に、わたしはふと不安を覚えた。
 周囲を見まわす。ゲートの方向からやってくる家族づれが目に入った。幼い兄弟は棒きれを振りまわし、ときおり「ばしっ! ばしっ!」と電撃棒の口まねをする。その笑顔は娘と同様、心からの歓喜と満足感に溢れていた。
 わたしは視線を戻した。娘は満面の笑みでわたしを見あげ、来週、それともその次の週末の再訪について、無邪気に語っている。
 不意に、新たな思いが頭をよぎった。――わたしは娘に、罪の愚かさや罰の恐ろしさではなく、もっとほかのことを教えたのではないだろうか。われわれ大人が密かに味わい、ひた隠しにしている――虐待というものの楽しさを。
 心の底から恐怖がこみあげてきた。娘の語りは止むことなく、その笑顔は無邪気に光り輝いている。


 過去作です。一応SFのくくりにしておきましたが、ホラーでもよかったかしら。ホラーコンテスト、これ出してもよかったかもしれません。