歌鳥のブログ『Title-Back』

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【幻の景色(かげのいろ)】二・たまごやき

 過去作です。読みづらいので分割して掲載しています。
 最初から読む場合はこちら(http://blogs.yahoo.co.jp/songbird_i/36433215.html)へどうぞ。



   二 たまごやき

 受付には白髪のおじいさんがひとり。入場料を払ってチケットを受けとり、わたしは博物館に足を踏みいれた。ドアがきい、ときしむ。エアコンの気持ちいい風がわたしをむかえてくれた。
 なかはがらんとしていた。わたしたち三人のほかは誰もいない。教室ふたつぶんくらいの広さの部屋がひとつ。白い壁の三辺にそって、ガラスのショーケースが並んでいる。残りの一辺は出入り口。それだけ。裏口もなければ窓もない。壁には『順路↑』と書かれたプレートがあるけど、そんなのあんまり意味がなさそう。
 天井から下がった電球が、オレンジいろの光を投げかける。聞こえるのはわたしの足音と、エアコンのうなり声だけ。そとではうるさいくらいのせみの鳴き声も、部屋のなかまでは届かない。
 奈子ちゃんは左奥のすみで、わたしにむかって「みさき姉ちゃん、こっちこっち!」と手まねきしている。かりんは律儀に順路どおり、左手前のショーケースの端にいた。
「だめよ奈子、ちゃんと順番があるんだから」
 そう言われたらしかたない。奈子ちゃんには悪いと思ったけど、わたしはかりんのいる左がわのショーケースに向かった。
「受付におじいさんがいたでしょ。あの人、ここの館長さんなの」
 かりんにそう言われても、べつに不自然だとは思わなかった。こんな小さな博物館だもの、わざわざ受付の人を雇うなんて、もったいないと思う。そもそも、お客なんてめったに来ないだろう。
 わたしがそう言うと、かりんはくすくす笑った。
「館長さんに聞こえるよ、みさき」
 最初の展示物は、お弁当箱。最近の丈夫なものとは違い、見た目からしてぼろぼろ。仕切り板もなにもない、ただのシンプルな箱そのものだった。手前に解説文の書かれたプレートがある。
『小学校跡に落ちていたもの。持ち主は不明。おそらく生徒の一人のものと思われる』
 わたしはその持ち主を想像してみた。それほど大きくはないから、このお弁当箱の持ち主はきっと女の子だろう。小学生の男の子だったら、この大きさでも大丈夫かな。……でもあのころって、食べるものにも困ってたんじゃなかったっけ。
 お米もろくに手に入らなかった時代。
 このお弁当箱には、なにが入っていたんだろう。

   * * *

 村岡さんの入部から数日が過ぎた。あたらしいクラスにも次第に慣れて、あたらしい友だちもできた、そんなころ。
 うちの学校には給食というものがない。お昼休みには学食に行くか、お弁当持参か、購買でパンを買ってくるか、そのどれかになる。わたしはパン組だった。
 その日、購買から教室に戻る途中で、わたしは村岡さんとすれ違った。腕にちいさな紙袋を抱えている。
「あれ村岡さん、どこ行くの?」
「噴水のところ。あそこでお弁当食べるの」
「へえ。いっつもあんなところで食べてるんだ」
「うん」
「……一人で?」
「うん」
 そういえば、お昼休みに村岡さんの姿を見かけたことがなかった。
 そのまますたすたと歩いていってしまいそうな村岡さんを、わたしはあわてて呼び止めた。
「ねえ、あたしも一緒に行っていい? 一緒に食べよ」
 村岡さんはちょっと困ったような表情を浮かべたけれど、やがて恥ずかしそうにこくん、とうなずいた。
 わたしはほっとした。あれから一度も部のあつまりがなく、いっしょに部室に行くこともなくって、村岡さんと話す機会がつかめなかったのだ。いいきっかけになった。廊下ですれ違えて、よかった。
 ここしばらく続いている水不足で、噴水は休眠していた。その噴水のへりに腰をおろす。目のまえに正門があって、その向こうは国道。右手に校庭、左手には花壇。わたしたちのほかは誰もいない。
 サンドイッチの包みを開けながら、わたしは訊いてみた。
「いっつもここでおべんと食べてるの? 一人で?」
 村岡さんはうなずいた。ひざのうえに載せたお弁当箱を、じっと見つめたまま。
「ここが好きなの。花壇のお花がきれいだし、国道を走ってる車を見てると、飽きないし」
「でも、一人でさびしくない? 教室にいればいいのに」
 村岡さんは目線を落としたまま。お弁当箱の底に書かれた、難しい数学の問題でも読んでるみたいな顔つきだった。
「わたし一人が好きなの。友だちいないし」
 ――わたしは頭にきた。じゃあ、あたしはなんなの? そう叫びそうになった。叫ぶかわりに、わたしはサンドイッチをひとくちほおばった。
 そんなつもりはないんだろうけど、なんだか人をばかにしている。まるで、わたしがいないほうがいい、みたいな言いかたじゃない。
 意地でも友だちになってやる。そう心に誓った。
「ねえ、村岡さん……」
 言いかけて、わたしは途中で口をつぐんだ。村岡さんは顔をあげ、たずねるように首をかしげてわたしを見つめる。
 村岡さん。村岡鈴子。
 むらおか れいこ。なんて堅苦しい名前なんだろう。
『村岡さん』なんて呼んでるかぎり、永遠に友だちとして認めてくれないような気がする。なにか別の呼びかたを考えなきゃ。鈴子ちゃん、れいちゃん、リン……。
「かりんちゃん」
 村岡さんはきょとんとして、わたしを見つめかえした。
「かりんちゃん、って呼んでいい? 『むらおか』の『か』と『鈴』の字で、『かりん』。かわいいでしょ?」
 ずいぶん強引だけれど、ほかに思いつかなかったのだからしかたない。それに、おとなしくてひかえめな村岡さんに、花梨のイメージはぴったりだと思う。
「ね、いいでしょ? かりんちゃん」
 村岡さんは――かりんは、さっきと同じような困った表情を浮かべていたけれど、やがてこっくり、とうなずいて、
「うん……いいよ、藤崎さん」
「みさき、って呼んで。みんなそう呼んでるから」
 それがわたしの名前だ。藤崎 岬。ずいぶんふざけた名前だけれど、実はけっこう気にいっている。
「かわいい名前だね。ちゃんと韻を踏んでるし」
 かりんもそう言ってくれた。こういうのを韻を踏む、というのかどうかはわからないけど、とりあえずほめてくれるのはうれしい。
「ね、かりんちゃん、ツナサンドひとつ食べない?」
「あ、ありがとう。――みさきちゃん、卵焼き食べる? わたしが焼いたの」
『ちゃん』は余計だよ、と言おうとしたけれど、やめた。こっちだって『かりんちゃん』だもの。
「へえ、かりんちゃん自分でお弁当作るんだ。すごいじゃん!」
 わたしがそう言うと、かりんはもうおなじみとなった、ちょっと困ったような顔をしてみせた。かりんがうれしいときにはこんな表情になる、と気づくのに、そう時間はかからなかった。
 その卵焼きは、最高においしかった。