歌鳥のブログ『Title-Back』

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【幻の景色(かげのいろ)】三・かさ

 過去作です。読みづらいので分割して掲載しています。
 最初から読む場合はこちら(http://blogs.yahoo.co.jp/songbird_i/36433215.html)へどうぞ。



   三 かさ

「みさき姉ちゃん、はやくおいでってば」
 奈子ちゃんがまた声をかけてくる。まじめに順路をたどるかりんと、その先で手まねきしている奈子ちゃんのあいだで、わたしは板ばさみになってしまった。
「奈子ちゃん、ちょっと待っててね。すぐ行くから」
 奈子ちゃんにそう告げてから、わたしはショーケースに顔を戻した。二番めの展示は、ゴム製らしい雨がっぱ。すそのところがぼろぼろに破けてしまっている。
『製糸工場の跡地に落ちていたもの。詳細は不明』
 ずいぶんあっさりした解説だ。これじゃよくわからないよ、とわたしが言うと、
「この雨がっぱ、館長さんの思い出の品なの。館長さん、戦争がはじまるまでは、豊橋の製糸工場で働いてたんだ。……このかっぱ、たぶん、そのときの知り合いの人の遺品なんだと思う」
 ショーケースのほうに顔をむけたまま、かりんはそんなことを言った。
「かりん、館長さんと知り合いなの?」
「……ううん。そういうわけじゃないんだけど……」
 ほとんど聞きとれないような声で、かりん。なんだか話しづらそう。わたしはそれ以上訊ねるのをやめにした。

   * * *

 梅雨。毎日雨ばかりつづく、憂うつな季節。
 わたしは別の意味で憂うつだった。かりんのことだ。
 あれから毎日、かりんとわたしはお昼休みになると、噴水のところで一緒にお昼ごはんを食べる。かりんはお弁当、わたしはパン。文芸部のみんなが部室にあつまるときは、もちろんいっしょに顔をだす。
 けど、それだけだった。
 休み時間には、かりんはいつもひとりで本を読んでいるか、じっと窓の外をじっと見つめているか。わたしとも、他のだれとも、話そうとはしない。
 なんだか声をかけづらい雰囲気だったので、わたしのほうから話しかけることもなかった。それに、わたしには他の友だちもいる。その子たちをないがしろにはできない。
 けど、かりんを放っておくのも嫌だった。休み時間、ひとりでぽつんと座っているかりんを見るのは、つらい。なにか話しかけるきっかけがあればいいんだけど。
 そのきっかけは、突然やってきた。
 その日は朝からくもり空だった。お昼休みのおわりごろになって、とうとう大粒の雨が降ってきた。いつものように噴水のところでお昼を食べていたかりんとわたしは、大あわてで校舎に駆けもどった。
「やっばあ。置き傘持ってかえっちゃってるんだ。帰りどうしよう、あたし傘ないや」
 下駄箱に靴を放りこみながら、わたしはかりんに訊いてみた。
「かりんちゃん、傘持ってきた?」
「……うん」
 ちょっと口ごもってから、かりん。その返事に、わたしは内心飛びあがって喜んだ。
「やったあ。じゃあ今日の帰り、傘入れてってよ。一緒に帰ろ」
「え……」
 かりんは困ったような顔になった。――この頃にはまだ、かりんが嬉しいときの顔と、ほんとうに困っているときの顔の区別がついていなかった。あとから考えると、この時、かりんはほんとうに困っていたんだろう。
「かりんちゃんの家、どっちのほう? まだ聞いてなかったよね」
「あ、あの……」
 わたしの問いかけに、かりんはふたたび口ごもった。かりんが視線をさまよわせてうろたえているうちにチャイムが鳴ってしまい、わたしたちはあわてて教室に走った。
 雨はますます強くなる。わたしは雨に感謝した。ホームルームが終わって、手早く教科書をかばんに詰めたわたしは、ななめ後ろのかりんの席をふりかえって、
「かりんちゃん、帰ろ」
 かりんの席は、からっぽだった。
「……ねえ、かりんちゃん、もう帰っちゃったの?」
 うしろの席の男子に訊いてみた。と、その男子は不思議そうな顔で「だれだって?」と訊きかえしてきた。
「あ、えと、村岡さん」
「さあ、知らね。いないんだから、帰ったんじゃねえの」
「ありがと」お礼もそこそこに、わたしは教室をとびだした。廊下を走りぬけ、階段を駆け降りて、かりんの姿を探す。どこにも見あたらない。……かりん、そんなに足早かったっけ? そのまま走って昇降口へむかう。
 雨はざあざあ降りになっていた。ちょっと迷ったけれど、わたしは傘を持たないまま、雨のなかに飛びだした。
 あっというまに、わたしのからだはぐしょぬれになった。気にしないで走る。泥水がはねあがって、白いソックスはしみだらけになった。かまわずに走る。
「かりんちゃん!」
 校門の手前まで来て、わたしはようやくかりんに追いついた。かわいい赤い傘をさしたかりんは、わたしの呼び声に足をとめ、ゆっくりとふりむいた。
「はあ、はあ、はあ……」
 教室からここまで走りっぱなしだったわたしは、すっかり息がきれてしまっていた。まともに声が出せるようになるまで、しばらくかかった。かりんは無言で待っている。
「はあ、はあ……。かりんちゃん、歩くの早いよ」
「……どうしたのみさきちゃん、そんなに慌てて」
「どうしたの、って……。いっしょに帰ろう、って言ったじゃない。忘れちゃったの?」
「あ……、うん。ごめん……」
 ぐしょぬれになっておでこに張りついたわたしの前髪に気づいて、かりんはあわてて傘を差しだした。
「ありがと」わたしは制服のそでで額をぬぐって、
「ねえ、かりんちゃんの家って、どっちのほう?」
「あ、あの……あっちのほう」
 ちょっと口ごもってから、かりんはその方角を指さした。
「じゃ、あっちの大きな公園のほうだよね」
「えっと……うん」
「よかったあ。うち、あの公園の近くなんだ。ね、公園のとこまででいいから、傘入れてってよ。いっしょに帰ろ」
 かりんは困った顔になった。……またこの顔。眉毛がななめにかたむいて、口がへの字にまがっている。
 わたしは急に不安になってきた。やっぱりこれ、喜んでるわけじゃなさそうだ。断りたいのに断れなくて、困ってる。そんなふうに見える。
「……かりんちゃん、あたしといっしょに帰るの、いやなの?」
 だまって目をふせたまま、かりんはなにも答えない。わたしは一歩さがって、かりんの傘の下から出た。
「ねえかりんちゃん。……あたしがこうやってしつこく話しかけるの、迷惑? よけいなお世話、かな?」
 やっぱり目をふせたまま、かりんは小さくかぶりを振る。
 わたしは少し悲しくなって、そして少し頭にきた。だったら、なんでそんな顔するの?本当はうれしいくせに。
「ね。……あたしのこと、きらい?」
 かりんははっと顔をあげて、首をぶんぶん横に振った。
「ううん。……そうじゃないの。そんなことない」
「じゃ、いいよね」
 わたしは無理に笑ってみせた。おもいきって傘のなかに戻り、かりんの手、傘の柄をささえているかりんの手に、自分の手を重ねる。
「ね、いっしょに帰ろうよ」
 するとそのとき、かりんの表情がちょっとだけ変化した。やっぱり眉毛はかたむいたまま、口はあいかわらずへの字にきゅっと結ばれていたけれど、目は――ほんのちょっと――笑ってた。
 わたしも笑った。おもいっきり。ほら、やっぱり、うれしいくせに。
「行こっか」
「……うん」
 恥ずかしそうにうつむいたまま、かりんはかすかにうなずいた。
 学校から公園まで、ほんの五分くらいの距離だけれど、わたしとかりんはひとつの傘をふたりで持って、並んで歩いた。いろんなことを話しながら。
 つぎの日、雨はとっくに止んでいたけれど、わたしとかりんは一緒に帰った。そのつぎの日も、またそのつぎの日も。
 ――あとから考えると、わたしがかりんに取った行動は、やっぱり余計なことだったらしい。わたしがあんなふうに、しつこくつきまとったりしなければ、あとになってあんなに悲しい思いをしなくてすんだのに。
 でも、この時わたしは、これでいいんだ、と思っていた。
 いまでも、わたしはそう思っている。余計なことだったかもしれないけど、これでよかったんだ、って。