歌鳥のブログ『Title-Back』

歌鳥の小説やら感想やらなにやらのブログです。よしなに。

【幻の景色(かげのいろ)】四・れもん

 過去作です。読みづらいので分割して掲載しています。
 最初から読む場合はこちら(http://blogs.yahoo.co.jp/songbird_i/36433215.html)へどうぞ。



   四 れもん

 脈絡のない展示物がつづく。欠けたお茶碗、時計、まねきねこ
「ねえねえ、ほら、みさき姉ちゃん。これ、かわいいでしょ?」
 やっとのことで、奈子ちゃんが待っているショーケースの端までたどりついた。ガラスのケースに収められているのは、ちいさな、色とりどりの、お手玉
『中山 加奈子さん(当時七歳)の家の跡にあったもの。彼女はこのお手玉が大のお気に入りだった』
 運動会の玉入れでしかお目にかかれないような、布製のお手玉。使われている生地はまるで統一されてなくて、きっと古着とかあまった布の切れはしとかをつなぎ合わせたんだろう。ところどころ縫い目がほつれて、なかの小石が顔をのぞかせている。
 ……小石?
「あの当時って、食べるものがなかったでしょ。子供のいる家では、お手玉をほどいて、なかの小豆を食べたりしてたの。だから、このお手玉、小豆のかわりに石が入ってるの」
 わたしの疑問を読みとったみたいに、かりんが説明してくれた。
「ふうん、大変だったんだね」
 と言いながらも、正直、わたしにはあまりぴんとこなかった。奈子ちゃんに顔をむけて、
「そっか。奈子ちゃん、これを見せたかったんだ」
「うん!」
 奈子ちゃんはにっこり笑ってみせた。はじめてあったときとおんなじ、得意げな笑顔。
 ――いまでもはっきり思い出せる。うちの台所で、とびっきりの笑顔をふりまいていた奈子ちゃんの姿と、その声を。
「ねえ、みさき姉ちゃん。これできる?」

   * * *

 その日、学校からの帰り道。わたしは――あまり期待しないで――訊いてみた。
「ね、かりんちゃん。今日、うちに遊びに来ない?」
 かりんはちょっと困ったような表情を浮かべた。喜んでるわけじゃなくて、ほんとに困ってるみたいだった。
 かりんと話をするようになって、もうずいぶんになる。一緒に部活に出たり、お昼を一緒に食べたり、一緒に帰ったりはしていたけれど、一緒に遊びに行ったことは一度もない。たまにどこかへ誘ってみても、いつもこの困ったような顔で「ごめんね」と言われてしまう。
 教室にいるときにも、かりんはわたし以外の子と話をしようとはしなかった。まるで、かかわり合いになるのを避けてるみたいに。よけいな友だちは作らない、とでも言いたげに。彼女がそんなふうだから、ほかの子もかりんに話しかけたりはしなかった。文芸部のみんなと一緒のときは、もうすこし愛想がいいんだけど。
 そんなわけで、わたしは何回断られようと、懲りずにしつこく「遊びに行こ」と誘い続けていた。だれにも誘ってもらえないなんて、きっと、さびしいだろうから。
 そしてこの日も、かりんはこう答えたのだった。
「ごめんね。今日はちょっと……」
「なんか用事でもあるの?」
 しつこく食いさがる。じつはこの日、ほかの友だちから「買い物に行かない?」と誘われていたのだった。それを断ってきたのだ、いまさら後には引けない。
 かりんはさんざんためらったあげく、
「うち、妹がいるの。うちに一人でおいておくと、心配だから……」
 初耳だった。「へえ、妹さんがいるんだ。いくつ?」
「七歳。小学校一年生。うち両親がいないから、はやく帰ってあげないと……」
 ちょっと気になる言葉だったけど、わたしは気づかないふりをした。
「ふうん、そっかあ。じゃあ……」しょうがないね、というせりふを、わたしは途中で飲みこんだ。そう簡単にあきらめて、たまるものか。
「じゃあさ、妹さんも連れてくればいいよ。ね、そうしよ!」
「え、でも……」かりんは例の困ったような顔になった。すぐに見分けがつく、今度のは、うれしいときの顔だ。
「でも、いいの? みさきちゃん。迷惑じゃない?」
「全っ然。かりんちゃんの妹なら、もう大カンゲーだよ。うち共働きだから、いまうち、誰もいないんだ。ね、連れておいでよ。そこの公園で待ってるからさ」
 こうしてわたしは奈子ちゃんと出会った。
 かりんの妹とはとても思えない、元気のかたまりのような女の子だった。元気が服着て歩いて、しゃべって、笑っているみたい。おかっぱ頭に濃い眉毛。くりくりの瞳は、ガラス玉みたいにきらきら輝いている。
 うちに着いたとたん奈子ちゃんは、それほど広くないわが家の探検をはじめた。
「ねー、この部屋なあに?」
「そこはパパとママの寝室、そっちがあたしの部屋。そこは物置だから、開けても――だめだよ奈子ちゃん、それひっぱり出しちゃあ……あーあ」
 もう、ところかまわずひっかき回してくれた。かりんは申しわけなさそうに、
「ごめんねみさきちゃん、この子言うこときかなくて……」
「いいよ、あとで片づけとくから」
 ちょっとひきつり気味の顔で、わたしは答えた。なるほど、この子を放っておくのは、危険だわ。
「とりあえず寝室には入れないでね。あたしお茶いれてくる」
「あ、あたしも行くー」と奈子ちゃん。
 三人でぞろぞろ台所へ。奈子ちゃんはここでも好奇心を発揮して、
「ねー、これなあに?」
「それはコーヒーメーカー。それは食器棚。そこ開けないで……奈子ちゃん、包丁持ち出しちゃだめ!」
 お茶をいれるどころじゃなかった。しょうがない、冷たい麦茶でがまんしてもらおう。わたしが冷蔵庫を開けると、奈子ちゃんはすばやく飛びついてきて、
「あ、リンゴだ。おいしそー。ねーねー、なにこれ?」
「奈子、いいかげんにしなさい!」
 奈子ちゃんが冷蔵庫に頭をつっこんでいる隙に、わたしはグラスに麦茶を注いだ。冷蔵庫にポットを戻そうとしたわたしは、ちょうど振りかえった奈子ちゃんとはちあわせしてしまった。
 奈子ちゃんの手には、レモンが三つ。――うちの家族は紅茶が好きなので、冷蔵庫にレモンが常備してあるのだ。
 得意げににっこり笑いながら、奈子ちゃんは言った。
「ねえ、みさき姉ちゃん。これできる?」
 そして、レモンでお手玉をはじめた。
 ぽん、ぽん、ぽん、と、テンポよくレモンは宙に飛びあがっては、落ちる。空中には常にふたつのレモン、奈子ちゃんの手元にはひとつだけ。
「へえ、すごおい」
 わたしが感心した声をあげると、奈子ちゃんは演技を中断して、わたしにレモンを手渡した。
「ね、できる? やってみて!」
「うーん、ふたつならできるけど……」
 お手玉なんて、ここ何年もやったことない。しぶしぶレモンを受けとって、トライ。……三つめのレモンを投げあげるまえに、最初のレモンが床に落ちてしまった。
 奈子ちゃんがくすくす笑う。かりんは奈子ちゃんの頭をこつん、とやって、
「こら。失礼でしょ」
 癇にさわったわけではないけど、わたしはむきになってしまった。とりあえずレモンふたつでチャレンジ。成功。レモンをひとつ増やして、再度チャレンジ。……最初に投げたレモンは、やっぱり床に激突してしまった。
「おなじ高さに投げないとダメなんだよ。ほら、こう。……ね、レモンなら手も痛くならないし、簡単でしょ」
 奈子ちゃんはお手本を見せてくれた。いとも簡単に、三つのレモンをほいほいと操る。相手は小学一年生。すごく、くやしい。
 わたしはますますむきになり、意地になって挑戦を続けた。そのうちにレモンはすっかりやわらかくなり、皮が裂けて果汁がしみ出てきた。わたしの両手は、べたべた。
 ふと気づくと、かりんは壁によりかかって、ノートになにごとか書いていた。
「? なに書いてんの?」
「あとでね」
 かりんはいたずらっぽく笑ってみせた。
 数分後。床がレモン汁でべちょべちょになるころ、わたしはようやく音をあげた。
「もうダメ。ギブアップ。――奈子ちゃんには、かなわないや」
 奈子ちゃんはとびっきりの笑顔を浮かべて、
「みさき姉ちゃん、下っ手だなあ!」
 ……こんな顔をされたら、とても怒る気にはなれない。
 べたつく床を掃除して、わたしの部屋に移動。奈子ちゃんがTVゲームに夢中になってくれて、かりんとわたしはようやくひと息つくことができた。
「そうだ。ね、かりんちゃん、さっきノートになにか書いてたでしょ。あれ見せてよ」
「だめ。見せると怒るから」
 かりんは意地の悪い笑みを浮かべた。かりんのこんな顔、はじめて見る。
「なによお。あとで見せてくれる、って言ったじゃない」
 半分奪うようにして、わたしはかりんからノートをとりあげた。いちばん新しいページを捜して、開いてみる。
 またなにかの詩だろう、と思ったら、そうではなかった。
 それはイラストだった。レモンでお手玉をしている、ふたりの女の子の。
「……これ、あたしと奈子ちゃん?」
 訊くまでもなかった。言うことをきかないレモンを必死の形相でにらんでいる、ショートカットの女の子。それを見つめるもうひとりの少女は、瞳をガラス玉みたいにきらきら輝かせていた。
「……かりんちゃん、絵も上手なんだね。すごいなあ」
 かりんは恥ずかしそうにうつむいて、
「でも、絵は奈子のほうが上手なんだよ」
「ほんと?」
「うん。いまもノート持ってるはずよ」
 かりんは奈子ちゃんのカバンから一冊のノートを取りだした。かりんのものと同じ、なんの飾りっ気もない、地味なノート。いまどきの女の子にしてはめずらしい。
「ねえ奈子ちゃん、ノート見せてもらってもいい?」
「うん、いーよお」
 ゲームに夢中になっている奈子ちゃんは、ふりむきもせずに答えた。聞いているんだか、いないんだか。
 ノートを開くと、そこにはイラストの数々。
 動物の絵が多かった。犬とか猫とか、そのへんを歩いていそうな動物から、なんだかわからない動物まで。
「なにこれ?」
「イタチ。田舎にはいっぱいいたの」
「ふうん。田舎ってどこ?」
豊橋
 ページをめくる。奈子ちゃんの描く動物たちは、なんだかちょっと変わった雰囲気がただよっていた。かわいいんだけど、どこか不気味。目つきが悪かったり、手足が異様に長かったり。でもそれは全部、いまにも動き出しそうなほど、リアルだった。
 いくつかの絵の下には、ちょこちょこと横書きの言葉が添えられていた。――これもよく覚えていないのだけれど、たとえば『ねこがあそんでる、楽しそうだな』とか『雪がふった、きれいだな』とか、いかにも奈子ちゃんらしい、素直な言葉で綴られていた。かりんが書くような洗練された文章ではないけれど、イラストとあわせて見ると、すごく、かわいい。
「あ。これ、かりんちゃん?」
 最後のページには、女の子の絵があった。長い三つ編みの女の子。どこかの家の縁側に腰かけて、静かに本を読んでいる。
 その下に書かれた言葉だけは、いまでも思い出せる。元気いっぱいのおおきな字で、ただ一行だけ、
『だいすきなおねえちゃん』
「仲いいんだね。いいなあ」
 わたしはひとりっ子だから、こんな仲良しの妹がいるなんて、うらやましい。わたしがそう言うと、かりんは照れたみたいに顔を伏せた。
「ああー!」
 TVゲームから顔をあげた奈子ちゃんが、いきなり叫び声をあげた。驚くわたしの手からノートを取りあげて、
「みさき姉ちゃん! 勝手に人のノート見ないでよ!!」
 かりんとわたしは顔を見あわせて、ぷっと吹きだした。