【幻の景色(かげのいろ)】五・べんち
過去作です。読みづらいので分割して掲載しています。
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五 べんち
「ねえ、みさき。そんなに慌てないで。もっとゆっくり見ようよ」
うしろからかりんが声をかけてくる。……だって退屈なんだもの。かりんには悪いけど、あんまりおもしろくない。解説文がなければ、ただのガラクタばっかりじゃない。
『林 はじめくん(当時十歳)のもの。彼は野球選手になるのが夢だった』
そう書かれた札があるのは、ちょうど入り口の反対がわ。ショーケースのなかには、傷だらけの野球のグローブ。大人用だ。
「この説明文って、ぜんぶ本当のことなの?」
「館長さんは、半分は本当だ、って言ってたよ」
「……じゃ、のこりの半分は?」
わたしがそう言うと、かりんはいたずらっぽく笑って、
「それは訊いちゃいけないんだよ、みさき」
* * *
「みさきちゃん、今日は部活に行かなくっていいの?」
「いいのいいの。週に一回も出れば充分だって。帰ろ」
わたしはかりんの肩を押して下駄箱に向かった。どうせ、部室にはめったに人は来ないのだ。
一学期もおわりに近づき、日差しも強くなりかけたころ。
あの日以来、かりんと奈子ちゃんは何度かうちに遊びに来てくれたけれど、みんなでどこかに遊びに行ったことは一度もなかった。わたしがかりんの家に行ったこともない。
「今度は、うちにも遊びに来てね」
かりんがうちに来るたび、彼女がそう言ってくれるのを期待していた。でも、かりんは決してそう言ってはくれなかった。……ちょとさびしいけど、でも、きっとなにか事情があるんだろう。そう思うことにしていた。
それでもやっぱり、たまにはどこかに遊びに行きたい。それがだめなら……。
うちの近所の公園にさしかかったとき、わたしはこう言ってみた。
「ね。今日奈子ちゃん、いる?」
「うん。もううちに帰ってるころだけど」
「じゃ、ちょっと呼んできてくれない?」
かりんは訊ねるように首をかしげた。わたしは公園通りの一角を指さして、
「あっちに、あたらしいクレープのお店ができたんだ。みんなで行ってみよ」
「くれーぷ……って、なに?」
かりんは目をまるくしている。わたしの目もまるくなった。
「……嘘でしょ。かりんちゃん、クレープ知らないの?」
かりんはこっくりうなずいた。あちゃあ。この子、いつの時代の子なんだろ。
「だったらなおさら食べなきゃ。行こうよ、おごったげる」
いつものように公園で待つ。やがてかりんがしずしずと、奈子ちゃんがばたばたとやってきた。三人で連れだってクレープ屋さんへ。
わたしは「チョコレートにナッツのトッピング」を注文した。かりんと奈子ちゃんは「同じの」。それぞれひとつずつクレープを持って公園に戻る。軽くなったサイフを手に、わたしはちょっとだけブルーになった。尊い犠牲だ。
公園のベンチにたどり着くころには、奈子ちゃんはちゃっかり自分のぶんをたいらげてしまっていた。
「おいしかった!」にっこり笑って、「ありがと、みさき姉ちゃん!」
それだけ言うと、奈子ちゃんはさっそく公園の探検に出かけてしまった。
「もっとゆっくり食べればいいのに」
思わずつぶやく。わたしのその言葉どおり、かりんはちま、とひとくちかじり、
「……おいしい!」
「でしょお? これを知らないなんて、不幸だよ」
ベンチに並んで腰かけて、わたしたちはちまちまとクレープを食べた。いっきに食べてしまうなんて、もったいない。
どこかの男の子がふたり、広場でキャッチボールをしている。夕陽に照らされたその光景は、とってものどかで、優しかった。わたしたちは無言でクレープを食べた。
「ごちそうさま。すごくおいしかった」
からっぽになった紙包みをきれいにたたんで、かりんはにっこり笑って言った。
「どうもありがとね、みさき」
――わたしはおどろいて顔をあげた。かりんはしまった、という顔をして、
「あ、ごめん。……ごめん、みさきちゃん」
よっぽど慌てていたのだろう。頬をまっ赤に染めて、うろたえている。
「ごめんね、ごめんねみさきちゃん。……怒った?」
怒ってなんかいない、ちょっとびっくりしただけ。そう答えるかわりに、わたしはこう訊いてみた。
「家ではいっつも、みさき、って呼んでるの? 奈子ちゃんと話すときとか?」
「うん。……頭のなかでは、いっつも」
かりんは暗い顔でうつむいてしまった。――これ以上意地悪するのはやめよう。わたしはかりんの腕をつかんで、
「じゃあさ。じゃあ、あたしもこれから、あんたのこと『かりん』って呼ぶよ」
おどろいて顔をあげるかりんに、わたしはにっこり笑いかけ、
「いやだなんて言わないよね、かりん」
かりんはしばらくためらっていたけれど、やがて困ってるみたいな、泣きたがってるみたいな、なんだか複雑な表情で、
「うん。……うん、いいよ。みさき」
わたしたちは顔を見あわせて――。
それから、どちらからともなく笑いだした。
どうして笑いだしたのか、なにがそれほどおかしいのか、さっぱりわからない。そのことがおかしくて、笑った。笑いころげた。
奈子ちゃんが戻ってきて、笑いころげるわたしたちを見つめて、首をかしげた。その表情がまたおかしくって、わたしたちはまた笑った。涙が出てきた。おなかが苦しかった。
なかなか笑いはおさまらない。それがとってもおかしくて、わたしたちは笑いつづけた。