【幻の景色(かげのいろ)】六・なまこ
過去作です。読みづらいので分割して掲載しています。
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六 なまこ
今度のショーケースの中身は、釣り竿。解説文を読もうとしたとき、かりんがこう訊いてきた。
「ねえ、みさき。そろそろ小説のアイディア、なにか思いついた?」
……そっか、忘れてた。そのために来たんだっけ。
なにか考えないと、かりんに悪い。わたしは必死にあたまをひねって、
「……こんなのはどうかな。戦争中、ある街が空襲にあって、一面焼け野原になっちゃうの。戦争が終わって、疎開先から帰ってきた男の子が、その焼け跡からいろんな小物を拾って保存しておくの。で、大人になってから博物館を作って、その集めた小物を展示するの」
かりんはくすくす笑いだした。
「なにそれ、そのまんまじゃない。館長さん、怒るよ」
「うるさいなあ」
わたしはふくれっ面をしてみせた。別に怒っていたわけじゃないけど。
わたしたちがそんなことを話しているあいだ、奈子ちゃんは床のタイルを踏み石にみたてて、ぴょんぴょん飛びはねていた。きのうの夕方、岩場でやっていたのと同じように。疲れなんか知らないよ、とでも言いたげに、元気いっぱいに飛びはねている。ぴょん、ぴょん、ぴょん。
* * *
夏休み。遊びと、クーラーと、退屈の日々。
わたしたち文芸部は、休みに入るとやることがなくなってしまう。それで、かどうかは知らないけれど、毎年八月の中ごろに、合宿というものをする。どこかの旅館に一泊して、お互いの作品の発表会と批評会をおこなうのだ。
でも、それは夕食のあとの話。到着してから夕方までと、翌日の出発時間までは、完全に遊びの時間になる。もちろん、宿泊場所は海の近く。
話し合いのとき、かりんがこの場所をあんまり強く主張するので、わたしは――ほかのみんなも――びっくりした。
「どうしても行きたいんです。ここじゃなきゃ、いけないんです」
ほかに案があったわけでもなく、場所はあっさりと決まった。……でも、普段はおとなしいかりんが、あんなに強引に話をすすめるなんて……。
「そういえば、かりんって豊橋の生まれだったっけ」
わたしが言うと、みんなは納得したような顔になった。わたしを除いて。
わたしは腑に落ちなかった。なんだか、いつものかりんらしくない。
出発の当日になって、その思いはいっそう強くなった。行きの新幹線のなか、かりんはみんなとの会話には加わらずに、ただぼーっと窓の外を眺めていた。
「どしたの? 元気ないじゃん」
わたしが話しかけると、かりんはあわてて作り笑いを浮かべて、
「ううん、なんでもない。気にしないで」
そう言われても、それは無理な相談だ。今日のかりん、やっぱり、どこか変。
わたしの心配そうな表情に気づいたのか、かりんはけなげに微笑みながら、
「ね、みさき。……あしたの自由時間、ちょっと行きたいところがあるの。一緒に行ってくれる?」
「いいけど……どこ行くの?」
「博物館。『豊橋焼け跡博物館』っていうところなんだけど」
「……へ?」
わたしが間抜けな声をあげると、かりんはくすくす笑って、
「このあたりって、むかし空襲にあったところなの。焼け跡に残った街の人たちの遺品を拾いあつめて、展示してるところがあるの」
「……そこに、行くわけ? 明日?」
「うん」
「……はぁ」
声だけじゃなく、顔も間抜けだったに違いない。なんだって、そんなところにわたしを連れていきたがるんだろう。たいしておもしろくもなさそうなところに。
「ね、行こうよ。小説の題材が見つかるかもしれないよ」
と、かりん。本当に、そんなつまらないことが理由なのだろうか。
そこまで考えて、わたしはもっと重要なことに気づいた。理由がどうのこうのなんてことより、はるかに重要なこと。――かりんが自分から「どこかに行こう」って誘ってくれたのは、はじめてだ。
「うん、行こう! 行きたい、一緒に連れてって!」
「よかった」かりんはにっこり笑った。
「ねえお姉ちゃん、みんながトランプやろう、って。おいでよ!」
奈子ちゃんが声をかけてきた。彼女もちゃっかり合宿に同行していた。顧問の先生に頼んで、かりんが連れてきたのだ。家に一人で置いておくと不安だから、と。行きの新幹線での二時間ほどのあいだに、奈子ちゃんはすっかりみんなのマスコットになっていた。
ゲームの最中も、かりんはぼーっとしていることが多かった。自分の番がきても気づかないことが何度もあって、そのたびにわたしは肘でつついて催促しなければならなかった。――奈子ちゃんはいつもどおり、はしゃぎまわっていたけど。
豊橋で新幹線を降りる。想像していたよりも大きな街だった。市電なんかも通っていて、住みごこちもよさそう。夏休み中だからだろうか、子どもの姿を多く見かける。
ここから半島まではローカル線が走っているけど、わたしたちには旅館のバスが出迎えにきてくれていた。お昼をすぎたころ、現地に到着。
宿に荷物を預けて、みんなはさっそく海辺へ向かった。わたしたちも同様。
天気は最高。真夏の太陽がギンギンに輝いている。海もわりときれいだし、言うことなし。砂浜でしばらくみんなと泳いでから、わたしとかりん、それに奈子ちゃんは、ひと気の少ない岩場に移動した。
わたしとかりんは、岩場に腰をおろしてひと休み。疲れを知らない奈子ちゃんは、ウサギみたいに岩場をぴょんぴょん飛びはねて、なにか変わったものを見つけては
「お姉ちゃん、これなーに?」と叫ぶ。
「ねー、このぶよぶよしてるの、なあに?」
「ナマコ」とわたし。
「なまこ?」
「そ。奈子じゃなくて、ナマコ」
「……あたし、こんなにぶよぶよしてないよお!」
隣でかりんがくすくす笑う。
「ナマコちゃん、転ばないように気をつけてね」
「……みさき姉ちゃん、きらい!」
ぷくっと頬をふくらませて、奈子ちゃんは遠くへ飛んでいってしまった。わたしはかりんと顔を見あわせて、笑った。
雲ひとつない青空に、負けないくらい青い海。夏の日差しが肌をじりじり焦がす。頭上で輪を描いているのはカモメだろうか。
近くに漁港があるらしく、ときおりちいさな船が通りすぎてゆく。波の音が、耳に心地いい。
「空が青いよねえ」わたしが言うと、
「なによそれ。あたりまえじゃない」
「そうだけど、でも東京じゃ、そんなこと考えないじゃない」
「……そうね。東京じゃ、なかなか空が見えないもんね」
つぶやくみたいに、かりん。わたしたちはしばらく黙って、空を見あげた。
「……楽しいね」
「うん。来てよかったね、かりん」
「うん……」
かりんの声が、急に暗い色を帯びた。わたしが視線を向けると、かりんはさっき新幹線のなかで見せた、うつろな顔つきをしていた。
「でも、なんだか、寂しいよね」
「? どして?」
「だって……だって、この楽しい時って、いつまでも続かないでしょ。明日になったら、わたしたち……」
正面の海を見つめたまま、つぶやくようにかりんは言った。
「でも、それはしょうがないよ。いつまでもここで遊んでるわけにはいかないじゃない。いつかは、帰らなきゃ」
理由はわからないけれど、かりんはものすごく落ちこんでるみたいだった。少しでも元気づけてあげたくて、わたしは無理にあかるい口調で言った。
「ここで、めいっぱい遊んでさ。おもいっきり楽しんで、帰ろ。思い出いっぱい作って」
「思い出……」
「そ。すてきな夏の思い出だよ」
かりんはもう、海のほうを見てはいなかった。うつろな目で足もとの岩を見つめ、小石をもてあそんでいる。
「でも、思い出って、いつかは無くなっちゃうでしょ。いつかは忘れて、頭のなかから消えちゃうでしょ」
わたしは心底おどろいて、かりんの顔を見つめた。――そりゃ、決して明るい子とはいえないけど、でも、あのかりんが、こんなに暗い、悲しい言葉を口にするなんて……信じられない。
かりんの顔を見ているのが、つらくなってしまった。わたしは海に視線を戻して、
「そんなの……そんなこと、ないよ。そりゃ、年とってボケちゃったりすれば、さすがに忘れちゃうかもしれないけど、そうじゃなくて……。
すくなくとも、今日のことは忘れないな、あたし」
言葉をきって、わたしは視線をめぐらせた。――この青い空、澄んだ海。強烈な太陽と、やさしい波の音。頭上を横切る白い鳥に、海面を横切る白い漁船。岩場で飛びはねる奈子ちゃん、それに、並んで座ってるかりんと、わたし。
「……あたし、ぜったい忘れない」
かりんはなにも答えない。じっと足もとを見すえたまま。わたしはわざと声を荒げて、
「なによぉ。かりんは今日のこと、すぐに忘れちゃうつもりなの?」
かりんはあわててかぶりを振った。
「ううん、そんなことない」
「なら、いいじゃん!」
わたしは立ちあがって、手を差しのべた。
「行こ! もっと思い出作ろうよ」
わたしが笑いかけると、かりんはいつもの困ったような顔――うれしいときの顔をしてみせた。わたしの手をとり、立ちあがる。
なんだか照れくさくなって、わたしはあたりを見まわした。遠くの岩のうえで、奈子ちゃんが手を振っているのが見えた。
「ナマコちゃん、待ってよ!」
「イーだ!」
顔を見あわせてくすくす笑ってから、わたしとかりんは手をつないだまま、岩場を歩きだした。