歌鳥のブログ『Title-Back』

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【幻の景色(かげのいろ)】七・さそお

 過去作です。読みづらいので分割して掲載しています。
 最初から読む場合はこちら(http://blogs.yahoo.co.jp/songbird_i/36433215.html)へどうぞ。



   七 さそお

「ねえ、みさき……」
 最後の展示にさしかかったとき、かりんがうしろから声をかけてきた。
「なに?」
「うん、あのね、あの……」
 かりんは言いよどんだ。金魚みたいに口をぱくぱくさせて、
「……やっぱり、いい。なんでもない。ごめんね」
「なによぉ。なんだかかりん、変だよ」
 あかるい声を出すのは、すごく苦労した。かりんが落ちこんでるのはわかるんだけど、でも、なにも話してくれないんじゃ、どうしようもない。
 話してくれるまで、待とう。そう思った。――そんな時間が残されていない、なんて、思ってもみなかった。
「ごめんね。ほんと、なんでもないの」
「変なの」
 気にしていないふりをして、わたしはショーケースに視線を戻した。最後の展示は、半分焼け焦げた、ノート。
『少女の死体が、大切そうに抱きかかえていたもの。前半のページが焼けてしまったため、なにが書かれていたのかは不明』
 たしかに、ノートの前半が焼かれて、なくなっている。残った白紙の部分が、なんだかとっても寂しげに見えた。いかにも昔のものらしい、なんの飾りっけもない、古くさいノート。
「ね。これ、かりんの……」
 かりんのノートみたいだね。そう言おうとして、わたしは途中で息を呑んだ。
 思考が停止する。ぱちぱちまばたきして、自分がなにを見ているのかを確かめようとする。見まちがいなんかじゃ、ない。
 白紙のノートに、なにかが浮かびあがってくる。
 なにも書かれていなかったはずのノートに、まるであぶりだしか何かみたいに、じんわりと横書きの文字が浮きあがってきた。もちろん、あぶりだしなんかじゃない。えんぴつ書きの小さな文字で、


   うそのうつつが 美しすぎて
   消すに消せない 幻の景色(かげのいろ)


「かりん、ちょっと、これ見て!」
 わたしは叫んで振りかえった。
 ……誰もいない。
 あわててあたりを見まわした。さほど広くない部屋。隠れる場所なんて、あるはずない。もし外に出たのなら、ドアのきしむ音が聞こえていたはず。
 消えてしまった。ふたりとも。
 ついさっきまで、奈子ちゃんの飛びはねる音が聞こえていたのに。ついさっきまで、かりんがうしろにいたのに。わたしの、すぐうしろに。
「かりん……奈子ちゃん?」
 無駄とは知りつつ、わたしは呼びかけてみた。――そう、呼んでも無駄だということは、うすうす気づいていた。だってこの、ノートに浮きでてきた、この字は……。
「かりん! 奈子ちゃん!!」
 それでも叫ばずにはいられなかった。返事はない。聞こえるのはクーラーのうなり声だけ。なにかに引き寄せられるように、わたしはノートに視線を戻した。さっきの文字の下に、またなにか書き加えられている。
 それはイラストだった。公園のベンチに腰かけてクレープを食べている、ふたりの女の子の。
 さらにその下に、横書きの文字が続いた。


   いろ鮮やかな いろどりだから
   残していくね 幻の景色(かげのいろ)


 えんぴつ書きの、小さな、か弱い文字。
 間違いない、これ――かりんの字だ。
「かりん、ねえ、かりん! お願い、返事して!」
 自分の声が震えるのがわかった。頭が混乱して、なにも考えられなかった。呆然と見つめているうちに、ノートの文字は現れたときと同じように、なんの前触れもなく、ふっと消えてしまった。
 それで終わりではなかった。つづいて現れたのは、大きな字で力いっぱい書かれた、こんな言葉。


   うそで始めた 思い出だけど
   うそで飾った 思い出だけど
   いままで ほんとに楽しかったよ
   ありがとね、幻の景色(かげのいろ)


 困惑しながらも、わたしはおもわず吹きだしてしまった。これ、奈子ちゃんの詩だ。
 途中まで語呂をあわせて、字数もあわせてあるのに、後半の二行で台なしになってしまっている。――けれど、とっても素直で、かわいくて、奈子ちゃんらしい、詩。
 その詩の下には、やっぱりイラストが現れた。海辺の風景。岩場に並んで座っている女の子ふたりと、岩から岩へと飛びはねる、ひとりの女の子。
 その絵もさっきと同じように、文字と一緒に消えていった。じんわりと、溶けるように。
 わたしはもう叫ぶのをやめていた。もう、なにがなんだかわからず、ただ呆然とノートを見つめるだけだった。ぐちゃぐちゃの頭で、わたしは次の文字が出てくるのを見守った。今度は縦に、三文字。


   さ
   そ
   お


『誘お』という意味か、と思い、わたしは首をかしげた。意味がわからない。けれど、それには続きがあったのだ。三つの文字の右側に、流れるように一連の文字が現れた。


   さよなら
   そして
   おげんきで


 最初のと同じ、小さな、か弱い文字。
「かりん……」
 かすれた声でつぶやいた。のどの奥が、痛い。それは叫んだからではなさそうだった。
 ノートの文字は、それまでのと同じように、じんわりと消えていった。
 そしてそれきり、なにも浮かびあがってはこなかった。