【ここにいない由佳里】【断片】テスト明けのドロップキック
テスト明けのドロップキック
「由佳里ちゃん、遅い」
「うん。何してるんだろ」
がらんとした昇降口で、私と舞は待ちぼうけていた。
中間テストの最終日。採点の都合だとかで、放課後は学校に残ってはいけないことになっていた。部活動も禁止。テストから解放された生徒たちが、みんな一斉に下校して、校舎はしんと静まりかえっていた。
舞と私は、下校の流れに乗りそこなった。靴を履き変えようとしたところで、由佳里が「机に財布忘れた」と言いだしたから。
「テストで席替えあるのに、机に財布しまっておくなんて、どういう神経してるわけ? 信じられない」
「でも、ちょっと由佳里ちゃんっぽい」
「まあ、それはそうかも」
そんなことを話しながら、舞と一緒に由佳里が戻るのを待っていた。けど五分待っても、十分待っても、由佳里は戻ってこない。
さすがに心配になって、舞と迎えに行くことにした。
誰もいない廊下に、私と舞の足音が響く。十月の廊下は肌寒くて、昼間なのにすこし怖い感じがした。
「……!」
階段の途中で、誰かの声が聞こえた。
話の内容はわからないけど、普通の声じゃなかった。荒々しい、嫌な感じの声。
思わず立ち止まって、舞と顔を見合わせた。
「由佳里……じゃないよね?」
「絶対違う」
そこからは足音を忍ばせて、そっと階段を登った。二階の廊下に出ると、由佳里の背中が見えた。私たちの教室の前で、引き戸にぴったり顔をつけている。
「由佳里? 何してるわけ?」
「しーっ」
由佳里は人差し指を立てて、私を黙らせた。そして細く開いた戸の隙間から、教室の様子を覗いた。
中にいる人に見つかりそうで、私と舞は覗くのをやめた。けど、それでも、中で何が起こっているのかはわかった。
「調子乗ってんじゃねーよ、ハニワのくせに」
さっきと同じ、嫌な感じの声が言った。続いてゴスッという、もっと嫌な感じの音。
「やめてよ。痛い」
「逆らうんじゃねーよ。生意気なんだよ、ハニワが」
ゴスッゴスッと、嫌な音が続く。その間に「痛い」「やめて」という声。
こっちの弱々しい声には聞き覚えがあった。同じクラスの埴生さんだ。もう一人の、嫌な方の声の主は、わからない。
好奇心に負けて、由佳里と一緒に覗いてみた。
「あたしに逆らうとか、何様だよ。ハニワのくせに、十年早ぇんだよ」
嫌な声の主は、隣のクラスの女の子。共同授業でときどき一緒になる。確か、柴さんとかいう名前だった。
「教科書どうしたん?」
「どうでもいいでしょ。柴さんには関係ない」
「関係なくねーだろ。せっかく捨ててやったのに、なんで教科書持ってんだよ」
――後になって、いろいろなことがわかった。知りたくないことまで、いろいろと。
柴さんと埴生さんは中学が同じ。気の弱い埴生さんは、ずっと柴さんにいじめられていたんだそうだ。
高校に入っても、その関係性は変わらなかった。けどクラスが別になって、さらに亜久里さんが埴生さんと仲良くなったので、いじめの機会はがくんと減った。ただ、誰も見ていないようなところで、細かい嫌がらせがずっと続いていたらしい。
その一部は私も知っていた。埴生さんが上履きに落書きをされた、あの時のこと。
テストの始まる一週間くらい前にも、埴生さんは嫌がらせを受けていた。移動教室の時に、机から教科書を全部盗まれた。
テスト前だから、もちろん困った。けど、そこは亜久里さんが頑張ってくれた。顔見知りの先輩に声をかけて、去年使っていた教科書を譲ってもらったのだった。中身はほとんど一緒だったから、埴生さんは無事にテストを乗り越えられた。
柴さんは、それが面白くないらしかった。
「ハニワ、部活入ってねーだろ。どうやって先輩に教科書もらったんだよ」
「私ハニワじゃないし、そんなの柴さんに言う必要ない」
柴さんの脅しに、羽生さんは屈しなかった。後で聞いたら、亜久里さんに迷惑がかかるのを恐れて、口を閉ざしていたんだそうだ。
ただし、それが柴さんをますます怒らせた。
「生意気だっつってんだろ」
ごすっ。
今度は音だけじゃなく、埴生さんが胸のあたりをぶたれるところを直接見てしまった。
私は思わず目を閉じて、引き戸から離れた。そんな私に、由佳里は小声で尋ねてきた。
「ねえ、どうしよう」
「どうしよう、って……」
言葉に詰まってしまった。思わず舞を振り返ったけど、舞も青白い顔で首を横に振るだけだった。
確かに、どうにかしなきゃいけなかった。
私たちの目の前で、あからさまな暴力が起こっていた。当事者の二人以外に、周りには私たちしかいない。私たちがどうにかするしかない。
私は、暴力に免疫がない。
舞や由佳里とケンカになることもあるけど、いつも口だけだった。取っ組み合いのケンカなんて、ずっと小さい頃に姉としたことがあるくらい。その時だって、母に介入されてあっという間に終わってしまった。
クラスメートどうしのケンカなら、何回か見たことがある。けど、こんな嫌な感じの、一方的な暴力を目にしたのは、生まれて初めてだった。――舞もほぼ同じだし、後で聞いたら由佳里も似たような感じだった。
頭が真っ白で、何も考えられなかった。
どうすればいいのか、どうすれば止められるのか。見当もつかなかった。
「教えろよ。教科書どうやったんだよ」
ごすっごすっ。耳をふさぎたくなるような、嫌な音が続く。
「答えるまでやるからな」
「やめてってば。痛い」
「逃げんじゃねえよ。次は腹行くぞ。それとも目やってやろうか」
――こんな時、由佳里だったらどうするだろう。
私は考えた。必死に考えた。
けど……答えが見つかるより、由佳里の行動の方が早かった。
がらがらっ。
由佳里はいきなり立ちあがって、大きな音を立てて引き戸を勢い良く開け放った。
そして、
「うわああああああああああああああああ~~~っ!」
大声で叫びながら、教室に走りこんで。
呆気にとられている柴さんの腰のあたりに、思いっきり飛び蹴りした。
新作です。ちまちま書いていたのが(一応)完成したので、アップしときます。なんか尻切れトンボっぽいですが、(一応)完成です。
で、これ第二部のクライマックスになります。
まだ本編書いてないのに、いきなりクライマックスを公表しちゃう荒業。まあ他にもいろいろありますので、これで本編が台無しになったりはしない、はずです。たぶん。